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記事全文を読む→修行10年超の末に…斬殺された父親の仇を討った江戸時代「女性剣士」の名前
日本の三大仇討ちといえば、赤穂浪士の討ち入り、伊賀越えの仇討ち、そして曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を富士野で討った仇討ちである。
仇討ちは主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことで、江戸時代は武士階級で慣習として公認されていた。明治六年(1873年)に禁止されたが、大半が男によるものだった。
ところが江戸時代に、女性でありながら、父の仇を見事に討った人物がいる。
その名を、尼崎里也という。里也の父・幸右衛門は、宇多源氏の流れを汲む、京極家に仕える足軽だった。
この幸右衛門は京極藩屈指の美人妻、そして2歳の里也と、香川・丸亀城下で暮らしていた。
ある夜、幸右衛門が自宅に戻ると。同僚の岩淵伝内が妻に暴行を働こうとしていた。その光景に激怒した幸右衛門が抜刀して斬りかかったが、逆に斬り殺されてしまう。
妻は里也を連れて妹夫婦の家に身を寄せたが、翌年、亡くなった。当時、3歳の里也がこの事実を聞かされたのが、それから10年後、13歳の時だった。
父の最期を知った里也は仇討ちのため、18歳で江戸に出た。当時、剣客として有名だった旗本、永井源助宅を皮切りに奉公先を転々としながら、剣の修行に励んだという。
苦難の日々は10年以上に及んだが、ある日、里也は住み込みで働いていた屋敷で、ようやく岩淵伝内を探し当てる。そして江戸の丸亀藩邸に、仇討ちを願い出た。宝永二年(1705年)、三代藩主・京極高或(たかもち)の時である。
高或は幕府の三奉行所(寺社奉行所、町奉行所、勘定奉行所)へ仇討ちを許可した旨を届け出て、「仇討赦免状」が発行されたのである。
正式に仇討ちが認められたことで、丸亀藩は現在の荏原郡今里に土地を購入し、仇討ちの場とした。当時、京極藩の下屋敷は「今里屋敷」と「戸越屋敷」の2カ所あり、その付近ということで仇討ちの場が決まったのだろう。
そして見事に仇を討った里也はその後、高或の姉の侍女「永井局」として仕え、79歳まで生きたという。仇討ちの場は特定されてはいないが、下屋敷内にあった社は「京極稲荷神社」として、品川区小山台に移築されている(写真)。
(道嶋慶)
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