社会
Posted on 2022年06月14日 05:58

修行10年超の末に…斬殺された父親の仇を討った江戸時代「女性剣士」の名前

2022年06月14日 05:58

 日本の三大仇討ちといえば、赤穂浪士の討ち入り、伊賀越えの仇討ち、そして曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を富士野で討った仇討ちである。

 仇討ちは主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことで、江戸時代は武士階級で慣習として公認されていた。明治六年(1873年)に禁止されたが、大半が男によるものだった。

 ところが江戸時代に、女性でありながら、父の仇を見事に討った人物がいる。

 その名を、尼崎里也という。里也の父・幸右衛門は、宇多源氏の流れを汲む、京極家に仕える足軽だった。

 この幸右衛門は京極藩屈指の美人妻、そして2歳の里也と、香川・丸亀城下で暮らしていた。

 ある夜、幸右衛門が自宅に戻ると。同僚の岩淵伝内が妻に暴行を働こうとしていた。その光景に激怒した幸右衛門が抜刀して斬りかかったが、逆に斬り殺されてしまう。

 妻は里也を連れて妹夫婦の家に身を寄せたが、翌年、亡くなった。当時、3歳の里也がこの事実を聞かされたのが、それから10年後、13歳の時だった。

 父の最期を知った里也は仇討ちのため、18歳で江戸に出た。当時、剣客として有名だった旗本、永井源助宅を皮切りに奉公先を転々としながら、剣の修行に励んだという。

 苦難の日々は10年以上に及んだが、ある日、里也は住み込みで働いていた屋敷で、ようやく岩淵伝内を探し当てる。そして江戸の丸亀藩邸に、仇討ちを願い出た。宝永二年(1705年)、三代藩主・京極高或(たかもち)の時である。

 高或は幕府の三奉行所(寺社奉行所、町奉行所、勘定奉行所)へ仇討ちを許可した旨を届け出て、「仇討赦免状」が発行されたのである。

 正式に仇討ちが認められたことで、丸亀藩は現在の荏原郡今里に土地を購入し、仇討ちの場とした。当時、京極藩の下屋敷は「今里屋敷」と「戸越屋敷」の2カ所あり、その付近ということで仇討ちの場が決まったのだろう。

 そして見事に仇を討った里也はその後、高或の姉の侍女「永井局」として仕え、79歳まで生きたという。仇討ちの場は特定されてはいないが、下屋敷内にあった社は「京極稲荷神社」として、品川区小山台に移築されている(写真)。

(道嶋慶)

全文を読む
カテゴリー:
タグ:
関連記事
SPECIAL
  • アサ芸チョイス

  • アサ芸チョイス
    社会
    2025年03月23日 05:55

    胃の調子が悪い─。食べすぎや飲みすぎ、ストレス、ウイルス感染など様々な原因が考えられるが、季節も大きく関係している。春は、朝から昼、昼から夜と1日の中の寒暖差が大きく変動するため胃腸の働きをコントロールしている自律神経のバランスが乱れやすく...

    記事全文を読む→
    社会
    2025年05月18日 05:55

    気候の変化が激しいこの時期は、「めまい」を発症しやすくなる。寒暖差だけでなく新年度で環境が変わったことにより、ストレスが増して、自律神経のバランスが乱れ、血管が収縮し、脳の血流が悪くなり、めまいを生じてしまうのだ。めまいは「目の前の景色がぐ...

    記事全文を読む→
    社会
    2025年05月25日 05:55

    急激な気温上昇で体がだるい、何となく気持ちが落ち込む─。もしかしたら「夏ウツ」かもしれない。ウツは季節を問わず1年を通して発症する。冬や春に発症する場合、過眠や過食を伴うことが多いが、夏ウツは不眠や食欲減退が現れることが特徴だ。加えて、不安...

    記事全文を読む→
    注目キーワード
    最新号 / アサヒ芸能関連リンク
    アサヒ芸能カバー画像
    週刊アサヒ芸能
    2025/6/24発売
    ■620円(税込)
    アーカイブ
    アサ芸プラス twitterへリンク