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記事全文を読む→吉沢京子「芦屋夫人」を捨てた離婚と「中村勘三郎との6年愛」仰天告白/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史
往年のスポ根ドラマファンであれば「空中二段投げ」「地獄車」と聞いて懐かしさを覚えるのが、桜木健一主演の「柔道一直線」(1969~71年、TBS系)だろう。そのヒロインで、当時セーラー服が誰よりも似合う女生徒「ミキッペ」として、同世代を生きる男たちの目を釘付けにしたのが、吉沢京子だった。
13歳で児童劇団に入った彼女は、東宝の青春映画「燃えろ!太陽」でデビュー。2年後に「柔道一直線」で、桜木扮する一条直也のガールフレンド・高原ミキ役で大ブレイクすることになる。
そんな彼女が大阪・梅田コマ劇場オーナーの次男で東宝社員の男性と結婚したのは、1983年。同年11月10日、東京ヒルトンホテルで記者会見に臨むと、
「彼とは『来るべき時が来たようで、ホッとした』と話しています。お互いが老後のことを話し合うようになって、それがプロポーズだったのかもしれません」
と頬を赤らめた。
結婚後の2人は、関西の高級住宅街・芦屋で夫の両親と同居。芦屋夫人となった吉沢は長男を出産し、
「これで母親の気持ちがわかるようになったので、女優の仕事にも生かせます」
主婦と女優業の両立に意欲を燃やしたのだった。しかし1989年、離婚していたことが発覚し、3月19日にフジテレビで記者会見。
「昨年の初め頃からどちらともなく離婚を言い出し、話し合ってきました。原因は申し上げられません。ただ、私に好きな人ができたとか、彼にできたとか、そういうことでは一切ありません」
噂されていた嫁姑関係の確執についても、
「義母のことを言われると、とてもつらい。最後まで私のことを理解してくれたのは母でしたから。葛藤はありました。ただ、離婚しないで後悔して生きるより、子供を連れて、また仕事で頑張ろうと思ったんです」
その後、吉沢は一人息子を抱えながらテレビに舞台にと、仕事に邁進してきた。ところが2014年7月に突如、「週刊現代」誌上で、1年半前に57歳で亡くなった歌舞伎界の名優・中村勘三郎との、6年間にわたる「愛の日々」を告白して関係者を驚愕させることになった。
記事によれば、当時彼女は高校1年生で、勘三郎は中学3年生。初キスの思い出から、やがて大人の恋に発展していく6年間が語られていた。その恋が、太地喜和子の「彼のことが本気で好きになっちゃったの。申し訳ないけれど、別れてもらえないでしょうか」というひと言で消滅したことも綴られた。
四十数年前とはいえ、一世を風靡する超人気アイドルと、歌舞伎界を背負うプリンスの赤裸々な交際秘話だった。
むろん、当事者がともに鬼籍に入ったことで、心の重石がとれたという思いがあるのだろうが、「私も彼のことを一生忘れることができません」という最後の一文に、甘酸っぱい思い出だけではない、年上の女性に引き裂かれた恋心と、その悔しさを長年抱え続けてきた呪縛のようなものを感じたものである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)、「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。
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