王貞治が一塁上に立つ高橋慶彦にスッと寄ると、左手でボールを渡して言った。
「おめでとう。良かったな」
22歳のスイッチヒッター・高橋がプロ野球新記録となる「33試合連続安打」を達成したのは1979年7月31日、広島市民球場での広島対巨人16回戦だった。
巨 0 0 0 0 0 4 0 0 4=8
広 0 0 3 0 0 3 0 0 0=6
1回裏、右打席での先頭打者だった。左腕・新浦寿夫の2球目、外角シュートを捉えた。打球は左翼・柴田勲の前に落ちた。 高橋は帽子を取って、ボールを受け取った。涙が出かかっていた。
それまでの記録は、71年に阪急(現オリックス)の長池徳士が達成した32試合だった。
試合後、高橋は「無我夢中で打ったからどんな球かは覚えていません。まだ実感がわきません」と語った。
実は病院帰りだった。巨人は2回表1死後、一塁走者に山本功児を置いて、6番の柴田勲が投ゴロを打った。山根和夫は捕球すると振り返った。併殺を狙った。二塁へ送球したが、ベースに入ったのは二塁・三村敏之ではなく、内野手のシフトから遊撃・高橋が入った。
グラブにボールが吸い込まれた。その瞬間、左足からスライディングしてきた、山本のスパイクが高橋の左ヒザを直撃した。 ヒザから崩れ落ちた。起き上がれない。監督・古葉竹識、コーチたちが慌てて飛んで行った。顔は真っ青だった。
人生は何が起こるかわからない。新記録の7分後、高橋は一塁コーチャーの藤井博(現・弘)コーチにおんぶされてベンチに引っ込むことになったのだ。
それでもこの回だけは我慢して出場し、次の回の守備から退場、広島市内の外科病院に車を走らせたのだった。
病院での診察結果は、左足関節部打撲傷で全治2日だった。球場に戻った高橋は気丈にも言った。
「お医者さんも大丈夫と話していた。明日も出るつもりです」
しかし、そうはならない。5試合の欠場で、復帰戦は8月8日の対阪神14回戦(広島)となった。
高橋は74年のドラフトで、東京・城西高から3位で広島に入団した。高校時代は右のエースだ。同年の甲子園に出場している。
入団早々、野手に転向した。プロ野球のあまりのレベルの高さに驚いた。「このままではクビになる」と強烈な危機感を持ったが、すぐに前向きに意識を変えた。
「一生懸命、やるだけやろう。クビになっても悔いは残したくない」
今でも広島の選手たちに語り継がれる、猛練習が始まった。全体練習、2軍の試合が終わった後、広島市・三篠の寮に隣接する練習場で約3時間打ち込む。
夕食を取ると、再び練習場でマシンを相手に黙々と打ち込んだ。これで終わらない。寝る前にも1時間の素振りである。休日も早朝から打撃音を響かせた。
75年は1軍出場なしで、遊撃から外野に転向した。76年は5試合に出場したが、無安打に終わった。
同年オフ、飛躍への転機が訪れた。古葉が俊足に目を付けて、右打ちからスイッチヒッターへの転向を命じたのだ。右打ちが左打ちをマスターすると、一塁へ一歩から一歩半近くなる。俊足を生かした安打が多くなり、出塁率も高くなる。
古葉は高橋に、日本人初のスイッチヒッターとして活躍していた巨人の1番打者・柴田の姿を重ねていた。
王道に近道なしだ。左打ちは素人同然。振って振るしかない。「練習の虫」は以前にも増して猛練習に励んだ。78年に1軍に定着したが、リーグ最多の21失策を犯した。それでも古葉は高橋を我慢して起用し続けた。
この年、規定打席に達して打率3割2厘をマーク。スイッチの3割越えは史上初の快挙だった。
日本新記録は79年6月6日、ナゴヤ球場での中日戦から始まった。第3打席で左翼前に安打を放った。
5月30日のヤクルト戦以来、19打席ぶりの安打だった。以降、毎試合安打を積み重ねた。10試合、20試合‥‥世間の注目が集まり狂騒曲が流れた。
最大のピンチは7月13日、25試合目の阪神戦(甲子園)で、苦手の小林繁の前に第4打席まで無安打だった。広島ナインが必死で高橋まで繋いだ。9回の第5打席で、やっと中前打を放った。
そして7月28日の大洋戦(現DeNA)で張本勲のセ・リーグ記録(76年)を抜き、翌日の試合で長池に並んでいた。そして、31日の新記録達成である。
8月8日の復帰戦、阪神の先発は江本孟紀だ。速球で押しまくられた。5試合欠場、スピードについていけない。
三振、三振、中飛、遊ゴロ。4打席が終わって日本記録は打ち止めとなった。
「負傷による欠場で、打席での感じは多少違ったが、言い訳にはできない。プロとプロの勝負で江本さんに負けたということです」
連続試合安打には運が必要だ。だが、ツキまくっていた男から運が左ヒザのケガで逃げ去ったのかもしれない。
しかし、この年の打率は3割4厘、55盗塁は盗塁王の大活躍でリーグ優勝、日本一に貢献した。日本シリーズでは打率4割4分4厘を記録してMVPに輝いた。80年代、高橋は広島カープの全国区のスターとして羽ばたいていく。33試合連続安打はいまだに破られていない。
大リーグの記録はヤンキースのジョー・ディマジオが41年に打ち立てた56試合だ。91安打で打率4割8厘の大記録を残したディマジオは、今なお有名な「世界のセックスシンボル」マリリン・モンローの元亭主だ。人間離れした男だからこそ、モノにできたのだろう。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。