死花を咲かせることだけが武士ではない。北条泰家という、謎に満ちた武将がいる。北条時行を描いた「週刊少年ジャンプ」で連載中の漫画「逃げ上手の若君」にも描かれている人物で、鎌倉幕府の第9代執権である北条貞時の四男、14代執権となった高時の異母弟ということはわかっている。
ただ、北条家の一族でありながら生没年とも不明で、室町時代に成立した軍記物「太平記」でも建武2年(1335年)の記述を最後に、登場していない。
元弘3年(1333年)、新田義貞による鎌倉攻めの際、泰家は自害を偽装した。そして負傷した敵兵たちが本国の上野国に戻る際、そこに加わり、負傷姿で粗末な輿に寝たまま奥州に落ち延びた。この時、付き添った南部太郎、伊達六郎は人夫に姿を変えていたという。まさに、スパイ映画さながらの逃避行だ。
実は泰家と奥州は縁が深い。「奥州総奉行」という、日本史上では珍しい役職にいたとされているのだ。「奥州総奉行」は崩壊直前の鎌倉幕府が、東北地方の支配のために設けたとされる特別職で、この名称で記述が残っている人物はほとんどいない。
まさに幻の役職だが、泰家はこの「奥州総奉行」を名乗っていた可能性がある。仮に名乗っていなくても、持っていた権限は間違いなく「奥州の支配者」のものだったといわれている。
泰家は天皇殺害というタブーを犯そうとした人物でもあった。奥州に逃げた後、京都に行き、旧知の仲だった公家の西園寺公宗の屋敷に身を隠す。そして建武2年(1335年)に、後醍醐天皇の暗殺を企てたのである。
この暗殺計画は事前に漏れたため未遂で終わったが、泰家は再び逃亡。その後、野盗によって殺害されたという噂が流れたが、定かではない。泰家のことだから、どこかに逃げて名前を変え、天寿をまっとうしたかもしれない。そう考えた方が、ロマンがある。
(道嶋慶)