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プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈広島市民球場のバックネットに忍者男参上!〉

 NHKからおなじみの「スポーツショー行進曲」が流れた。テレビ画面に全国の野球ファンが目をやった。

 1990年5月12日午後7時20分、カメラは広島市民球場の広島対巨人7回戦のグラウンドを映し出した。

 視聴者はギョッとした。巨人がちょうど、6回表の攻撃に入ろうとした時である。1人の男が一塁側から現れた。その姿に誰もが仰天した。

 黄色の風呂敷で、頭部・顔面を忍者風に包んでいた。額には赤のマジックインキで、広島カープの「C」が書き込まれていた。 黄色のジャンパー、背中にリュックサックを背負っている。足は黒の地下足袋を履いていた。

 スタンドのファンはあ然ぼう然、両軍ナインが口をアングリさせていた。主審の平光清は言葉を失っていた。

 忍者男は一塁側ダグアウトから高さ約13メートルのバックネットに飛び付き、よじ登り始めた。

 それにしても大した身体能力である。アッという間に13メートルの頂上にたどり着いた。まるでクモだ。CMのないNHKは、結果として男の行動を追った。

 傘の柄をカギにしたロープをバックネット最上部に掛けてぶら下がった。リュックサックから4本の垂れ幕を取り出した。タテ3メートル、横25センチの白布である。1本は落としてしまったが、ネット最上部の右から3本を披露した。

〈巨人ハ永遠ニ不ケツデス!〉〈ファンヲアザムクナ!〉〈天誅!悪ハ必ヅ滅ビル!〉

 天誅の幕の最下部には、桑田真澄の似顔絵らしきものが描かれており、落とした1本には〈カープハ永久ニ不滅デス!〉とあった。

 三塁側巨人ベンチに向かって「ジャイアンツは許さないぞ!」と叫ぶと、銀紙を張ったオモチャの手裏剣と発煙筒3本を取り出した。降りるように下から説得する、警官・球場警備員に投げつけた。

 観客たちは最初「フレーフレーオッサン」と歓声を飛ばしていたが、試合中断が続くと「降りろ! 降りろ!」の大合唱となった。

 ネットを揺すって落とそうとする観客も出現し、場内は大騒乱となった。

 男は9分後に降りて来て、警察官に「威力業務妨害の疑い」で現行犯逮捕された。

 この余波は簡単に収まらず、以後、グラウンドやバックスクリーンに入り込んできた便乗犯が8人も出た。そのたびに試合は中断である。

 後で調べると行動開始は偶然ではなく、NHKの放映時間に合わせたものだった。

「巨人も昔は好きだった。カープは今も大好きです。子供に夢を与えるプロ野球なのに、今の巨人はけしからん」

 当時、広島県在住・39歳の男性は動機をそう語っている。

 同年の開幕前に「桑田騒動」が勃発した。スポーツ用品会社の元社員がキャンプ中に、桑田に関する「暴露本」を出版。その中で、自身の登板日を知人に漏らしていたと明かした。

 これが「登板日漏洩疑惑」として歩き出し、「野球賭博に関与しているのでは」という憶測を呼び、週刊誌やスポーツ紙などのマスコミが取り上げて、大騒動に発展したのだ。

 巨人の調査によって事実無根と判明した。

 しかし、桑田は関係者から金品を受け取っていたことを当初、自ら報告していなかった。巨人は桑田に4月7日の開幕から謹慎1カ月、罰金1000万円を科し、巨人もまた連盟から処分された。

 この後、巨人と著者側が互いに相手を損害賠償などで訴える事態となった。

 さらに、開幕日の巨人対ヤクルト戦(東京ドーム)で事件が起こった。篠塚利夫(現・和典)の「疑惑の本塁打」である。

 セ・リーグは同年から25年間続けてきた審判「6人制」を「4人制」に変更していた。同時に、12回までだった延長を15回までとした。引き分けは再試合だ。

 ヤクルトが3対1として迎えた8回裏1死二塁、篠塚は内藤尚行の初球を強振した。打球は右翼ポール際に飛んだ。飛距離はあったが、明らかにファウルだった。

 だが、一塁塁審が右手を回した。監督の野村克也が執拗な抗議を行った。覆らない。呆れたような表情でベンチに引き揚げた。

 外野の線審が2人いなくなり、際どい打球のミスジャッジの不安が盛んに指摘されていた矢先の出来事だった。

 3対3で延長に入り、試合は14回に巨人が押し出しでサヨナラ勝ちした。勢いに乗った藤田元司率いる巨人はセ戦線を独走した。

 当時、プロ野球ファンの多くはモヤモヤした気持ちを抱えていた。迷惑行為であっても、忍者男に心の中で喝采するファンが大勢いたのは間違いない。

 この試合は巨人が1点をリードしていた。投球練習を終えていた広島の先発・川口和久は、騒動でベンチに戻っていたが、集中力がそがれていた。

 再開直後に緒方耕一に二塁打、篠塚の死球が絡んで1死満塁となり、西岡良洋に犠飛を許して、試合が決まる1点を失った。

 巨人は対広島3連敗中だった。川口は言った。

「何もないと言えばウソになる。さあ、これからという時に10分は長い」

 巨人の先発、21歳の木田優夫は騒動を面白がっていた。最後まで投げて、完投で4勝目を挙げた。

巨 0 0 0 0 2 1 0 0 0=3

広 1 0 0 0 0 0 0 0 0=1

 男性は12日に取り調べを受けた後、13日午後に釈放された。

 現在、何度目かの忍者ブームだが、91年になる日本のプロ野球史において、これ以前も以後もグラウンドに忍者は出現していない。 昭和という大らかな時代の残り香がまだあった、平成2年の事件である。

 桑田を巡る裁判は90年9月20日に和解が成立し、桑田の名誉は回復された。

(敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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