応援しているスポーツチームの歴代監督は、忘れられないものである。サッカーJリーグの浦和レッズであれば、リーグ初制覇に導いたギド・ブッフバルトや、ACL優勝を果たしたホルガー・オジェックは今も記憶に残っている。
もっとも、悪い意味で忘れられない監督も、浦和には多い。J2降格のきっかけを作った原博実や、そのあとを継いでチームをJ2に落としたア・デモスがそうだ。2001年に指揮を執ったチッタもそのひとりである。
ブラジル代表として活躍し、引退後は名門ヴァスコ・ダ・ガマで監督を務めたチッタは、2001年にJ1復帰を果たした浦和レッズの監督に就任。1stステージは7位とそれなりの成績を残したが、2ndステージが始まると、3試合を終えた時点で辞任。チームを放り出してしまった。その影響もあって、浦和はJ1残留争いに巻き込まれ、やっとのことで降格を免れたのである。
浦和サポーターの間では「無責任監督」とされているチッタだが、選手から見ても優秀とは言えなかったと、2000年に浦和に入った鈴木啓太氏が、前園真聖氏のYouTubeチャンネルで明かしたのである。
勝負の年となる2年目、鈴木氏はレギュラーを掴もうと必死で練習していたという。
「紅白戦で小野伸二さんを一回、削ってしまった。そうしたら(チッタ監督に)『お前、この野郎!』みたいな感じで怒られました。別の日の紅白戦で阿部敏之さんがターンした瞬間に、ガツンとボールを取りにいった。ノーファウルでした。でも、足が組み合わさってしまって、阿部さんは内側やっちゃったんです。そしたらチッタ監督がダッシュしてきて顔を近づけて、『お前の練習じゃないんだ。何考えているんだ』って。通訳さんがあとで教えてくれたんですけど、とんでもない言葉を言っていた、と。『俺がいる間はお前を一生使わない。練習も呼ばない。帰れ』って言われて、帰らされた」
ここから4カ月、練習に呼んでもらえない状態が続いた。さらに言うには、
「寮に住んでいて、監督がご飯を食べにくることがある。チッタ監督とすれ違って挨拶しても、シカトされる。4カ月、地獄でした」
鈴木氏が明かしたこのエピソードから、チッタ監督の無能ぶりがわかると、サッカーライターは言う。
「まず単純に、鈴木啓太の才能を見抜けなかった、という点が残念ですね。当時コーチを務めていたピッタは、鈴木をレギュラーに推していましたから、見る人が見れば才能に気づいたはずなんです。そして練習からガツガツいった鈴木を怒ったのもよくありません。欧州では練習から激しくいくのが当たり前で、Jリーグでも鹿島やかつてのヴェルディなど強いチームは、練習から厳しくやります。怒ったら選手は萎縮して練習は生ぬるいものになり、チームはどんどん弱くなるでしょう」
挨拶してきた選手を無視するなど、監督以前に人としてどうなのかと思わずにはいられない。今にして思えば、早々に辞任してくれてよかったのかもしれない。
(鈴木誠)