室町時代、ミッキーマウスと同じような身長の武将がいたという。「三尺入道」と呼ばれた赤松満祐である。三尺といえば、およそ90センチ。ミッキーマウスの身長は約3フィート2インチ(約96.5センチ)といわれており、それよりもやや低いとされている人物だ。
今も世界中で愛されているミッキーとは違い、赤松は傲慢な性格の嫌われ者キャラだった。応永34年(1427年)に播磨、備前、美作(現在の兵庫県、岡山県南東部)などを治めていた父・義則のあとを継ぎ、一時は武士の行政長官である侍所頭人になったが、その激しい性格はかねてから、4代将軍・足利義持に敬遠された。
なにしろ東寺の松を無理やり引っこ抜き、植え替えさせたという逸話もあるほど、やりたい放題の人間である。義持は所領を没収し、満祐の又従兄弟の赤松持貞に与えようとした。だが満祐は、これに黙っているはずがない。京都の屋敷を焼き払い、播磨に引き上げるという暴挙に出たのである。
一時は戦闘必至だったが、持貞が義持の側室との不倫疑惑をかけられて切腹。周囲のとりなしもあり、なんとか元の鞘に収った。
ところが義持が死去してから、6代将軍・義教ともうまくいかなかった(5代将軍の義量は年若く、単なるお飾りの短期政権だった)。蜜月時代もあったが、義教はエキセントリックな性格で有名な将軍だ。次々と有力大名を殺してその所領を没収し、他の大名に与え始めると、疑心暗鬼になった満祐が一計を案じた。
嘉吉元年(1441年)6月24日、京都の自宅に(結城)合戦の祝勝会という名目で義教を招き、嫡子・教康と弟・則繁に命じて将軍を殺害してしまったのである。
いつの時代も主殺しは大罪だ。そして満祐の性格も災いした。反対勢力は幕府側の朝廷への働きかけで朝敵となり、寝返る人間が続出。最後は城山上(現・兵庫県たつの市)に籠城して幕府軍を迎え討ったが力尽き、一族69人と切腹して果てたという。
ただ、身長90センチといえば、小学校低学年の児童ほど。そんな人物が、恐怖政治を敷いた上役である将軍の殺害計画を成功させたとは、驚きである。
(道嶋慶)