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記事全文を読む→【浮世絵が語るウラ史実】上杉謙信VS武田信玄「川中島の合戦」で一騎討ちに乗り込んだのは「影武者」だった!
相当な歴史オンチの人間でも、戦国大名である越後の虎・上杉謙信は知っているだろう。戦国乱世を統一した織田信長でさえもその強さを恐れ、数多くのおべんちゃらに満ちた手紙を送り、ご機嫌をとったとされる人物である。もし、謙信が天正6年(1578年)に死去せず、もう少し生きていれば、歴史は大きく変わっていたことだろう。
その謙信とライバルとされた甲斐の龍・武田信玄との、再三に及ぶ川中島の戦いは有名だ。特に永禄4年(1561年)の第四次川中島の合戦では、謙信が単身で白馬にまたがり、武田軍の本陣に突入。信玄に太刀を浴びせると、信玄は手にした軍配で受け止めた、というエピソードは今も語り継がれている。
ところが実際は、謙信と信玄が一騎討ちをした事実を裏付ける歴史的な資料はない。馬にまたがって突入したのは謙信ではなく、影武者だったという説があるのだ。その影武者は、荒川保の領主で謙信の旗本先陣を務めた荒川伊豆守長実だったという。長実が単身で乗り込み、信玄に3太刀斬りつけ、2カ所に手傷を負わせたとの話が、「上杉史料集」には存在しているのだ。
この説は根強く、江戸時代の武将浮世絵師たる一勇斎国芳が「川中島の戦い」に参戦した武将を描いた「川中嶌百勇将戦之内」(かわなかじまひゃくゆうしょうせんのうち)のシリーズの第1作で、このエピソードを描いている。
ところが合戦後の長実の所在が分かっていない。領地には戻らなかったようだが、戦死したという話も残っていないし、事実が明らかになっていない。越後十七将のひとりとしては、あまりにも謎に包まれている。影に生きた影武者かもしれない。
(道嶋慶)
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