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記事全文を読む→藤波辰爾に健康必殺技「ドラゴン・ストレッチ」を学ぶ!(2)ベイダー戦での大ケガを語る
プロレスラーとしては決して巨漢でない藤波氏だが、超ヘビー級とも正面からぶつかり合った。190センチ・170キロのビッグバン・ベイダー選手(故人)との試合をご記憶の方も多いだろう。藤波氏36歳の時だが、ここで強烈なダメージを受けてしまう。1989年6月22日のことだ。
「あの日、強烈なバックドロップを受けて、脚に電気が走ったような感覚があった。控室に戻ってから激痛で動けなくなって、診断結果は椎間板ヘルニア。それからは仰向けにもなれない地獄の日々が続きました」
その後も痛み止めの注射を射ってリングに上がるが、限界が来て長期欠場。
「半年は自宅マンションから出られず、ベランダから飛び降りる光景を想像することさえありました」
そんな状況に光明が差したのは、ある専門医との出会いだった。その医師は、こう言った。
「痛くない程度に体を動かして、筋肉のバランスをまず一回整えましょう。それから使えない状態になった筋肉を少しずつ使えるように、内面からアプローチしていきます」
藤波氏は医師の教えを2カ月間実践。すると何をやっても消えなかった痛みが治まり、1年3カ月ぶりにリング復帰を果たした。
「僕だけでなく家族にとっても、信じられない奇跡のような出来事でした」
この時学んだのが、インナーマッスルの大切さだ。プロレスラーに必要なのは、見栄えのいい筋肉だけではない。体の深層の筋肉を鍛えなければケガをしやすくなり、結果、長くリングに立つことはできなくなる。地味な運動の積み重ねが奏功したのだ。
「ただ、立ち上がれるようになったとはいえ、ヘルニアは完治していないので、当時は毎試合、痛み止めの座薬を入れてリングに上がっていたものです」
当時は年間250を超える試合をこなしていたそうで、「何本座薬使ったのかね(笑)」と笑顔で振り返る藤波氏だが、体のトラブルは続いた。2015年には脊柱管狭窄症の手術を受けるはめに。
「神経に触れていた部分の骨を削ったら、腰がだいぶ楽になったけれど、今度は逆に右脚が動かなくなった。思うようにステップが踏めなくなったんです」
脊柱管狭窄症とは、手足を動かす神経の通路である脊柱管が骨の変形や椎間板・靱帯の突出などによって狭くなる症例。手や脚の痛み、しびれ、歩行障害、排尿障害などの症状を引き起こす怖い疾患だ。
藤波氏の場合、長年バンプ(受け身)を取り続けたことが原因だという。その手術を受けたのは62歳の時。本来なら術後も日常生活に支障をきたすものだが、「引退」は一切考えなかった。
「『絶対にもう一度リングへ戻るんだ』という思いしかなかった。やっぱりプロレスが心底好きなんですよね。生涯『ドラゴン藤波』でいたいんです。諦めたら終わり。まさに『ネバーギブアップ』ですよ」
プロレスファンなら誰もが知る藤波氏の「座右の銘」が飛び出した。
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