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記事全文を読む→六代目山口組が「全面バックアップ」“東声会”「継承劇」の舞台裏(2)深い歴史を持つ山口組と東声会
その小澤会長が継承した東声会の始まりは、終戦直後の混乱期にまで遡る。当時、愚連隊を率いていた町井久之会長が大アジア主義に心酔し、「東洋の声に耳を傾ける」という理念のもとに、1947年に東声会として船出したのだ。
町井会長の統率力のもと、抗争も辞さない過激な姿勢で急速に版図を拡大させた。その勢力は銀座を本拠に、都内はもちろん関東一円へと及び、最盛期には名古屋や大阪、沖縄などに支部を置き、構成員1600人を擁する巨大組織になっていく。
新興組織が急速に伸長すれば、既存のヤクザ組織との衝突は避けられない。数々の抗争を繰り広げる中、東声会に転機が訪れる。63年2月に町井会長が、大物右翼の児玉誉士夫氏の仲介によって、三代目山口組・田岡一雄組長の舎弟となる盃を交わしたのだ。ヤクザ事情に詳しいジャーナリストが解説する。
「当時、児玉氏は全国のヤクザ組織を大同団結させて、反共のための行動隊『東亜同友会』を結成する構想をもっていました。その実現への第一歩とする予定でした。実際、この盃には全国の親分衆が参列したのですが、関東の諸組織にしてみれば、全国進攻を繰り広げる山口組に関東進出の足掛かりを与えるのではと警戒。決して歓迎されてはいなかったはずです」
現に同年3月、横浜のクラブで組員同士のトラブルから山口組系と錦政会(現・稲川会)系との間で一触即発の事態を迎える。直後、田岡組長が横浜に「麻薬追放国土浄化同盟」の支部を構えるに至って、関東ヤクザの山口組への警戒感はますます強まる。ついには、同年12月に「関東会」という親睦団体を結成。当初、反山口組的な性格を持つ団体と見られたが、児玉氏のとりなしで東声会が加盟することで、反山口組色は薄まっていった。
「この間、田岡組長と関係が深い大物右翼・田中清玄氏が東声会組員によって都内で銃撃される事件も発生。町井会長の関与が否定されたことから、組織間の対立には発展しなかったものの、盃によって結ばれた2人の間にも一時的な緊張が走ったそうです。各組織が勢力拡大を狙って暗躍した時代ですから、児玉氏をもってしても大同団結させることはできなかったのです」(ジャーナリスト)
結果、各地で暴れまくるヤクザに対して、当局が重い腰を上げる。首領級を次々と逮捕する「第一次頂上作戦」を開始。これによって、多くの組織が解散に追い込まれ、66年に東声会も解散を決定する。
しかし、翌年には旧東声会勢力を東亜友愛事業組合として再編。町井会長は引退し、代わってトップに立ったのは東声会副会長だった平野富士松理事長だった。かように時代の激流に飲み込まれ、組織を変容させながらも東声会が変えなかったものがある。それが山口組との親戚関係だ。
平野理事長の跡目となった沖田守弘理事長は、三代目山口組にあって、代紋違いではあったが「幹部扱い」となっていた。その待遇は竹中正久四代目体制でなくなるが、その四代目継承式、また渡辺芳則五代目の継承式にも「親戚総代」として名を連ねた。
その後、沖田理事長から組織を譲られた二村昭平理事長が組織名を「東亜会」へと改称。会長制へと移行させた。99年に金海芳雄会長が跡目を継承したが、05年の司忍六代目体制発足と同時に、司組長が後見人になるなど、両者の密接な関係は変わることはなかった。16年の早野会長就任時に「東声会」と名称を戻した後も、両組織の友誼は維持されてきたのだ。
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