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Posted on 2026年06月14日 06:00

プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈巨人・柴田勲がスイッチヒッターで衝撃デビュー!〉

2026年06月14日 06:00

 広島市民球場のざわめきは収まるどころか、ますます大きくなっていった。1963年5月25日、広島対巨人3連戦の初戦、4回表1死二塁。中堅で途中出場していた柴田勲がこの試合、初の打席に入った。プロ2年目の19歳である。

 観衆は「アッ‥‥?」と驚いた。あの柴田が左打席に入ったのだ。マウンドには右投手の長谷川良平が立っていた。

 渾身の内角高め真っすぐを振り抜くと、打球はグングン伸びて右翼席上段で弾んだ─。

巨 0 3 1 2 0 4 0 1 5=16
広 0 0 0 0 0 1 0 0 1=2

 川上哲治監督は「よかったなあ、よかったなあ」と大喜びしていた。

 投手から内野手、さらに外野手に転向した日本人初のスイッチヒッターとして初の左打席での初本塁打だった。この日、4打数3安打5打点を挙げた。

 柴田は法政二高時代に60年夏、61年春の甲子園を優勝に導いた右投げ右打ちの本格派投手だった。甲子園には計4回出場し通算12勝1敗だ。

 広島ファンは高校時代のイメージが脳裏に強く焼き付いていた。

 61年秋、逸材に複数球団から勧誘の手が伸びた。柴田が大ファンだった巨人も例外ではなかった。

 この年から巨人の指揮を執っていた川上哲治がスカウトとして横浜の自宅に足を運んだ。

「巨人で一緒に仕事をやろう」と打撃の神様は熱心に誘った。両親には将来を示唆する話をしている。

「投手として素晴らしいけど、打者としてもね。万が一、肩を壊したような時には打者として成功する選手です」

 そして続けた。「私にしても王(貞治)にしてもそうでしょう」と。

 柴田は高校時代に5番を打っていたが、投手としてプロで活躍したかった。この時点では、「おかしな話をするな」と思いながらも憧れの巨人に入団を決めたのだった。

 入団1年目、62年のオープン戦では3勝を挙げたが肩を壊してしまった。

 阪神との開幕カード第2戦で先発したものの5回途中4失点でKO、敗戦投手になった。その後も結果を出せずに8月には二軍に降格。ルーキーとはいえ、投手失格となった。

 川上は10月の秋季練習で打者転向、それも左右両打ち挑戦を命じた。しかも「モーリー・ウィルスを目指せ」というゴールまで設定したのだ。

 ちなみに、ウィルスはドジャースのスイッチヒッターとして1番を打ち、史上初の100盗塁を記録したレジェンドだ。

 スイッチヒッターは左右どの投手に対しても優位な立場に立てる。特に右打ちが左打席に立てるようになると、一塁が1歩から2歩ほど近くなる。理論上、出塁率が上がるわけだ。

 川上は柴田をリードオフマンに育てる決断をした。決め手は類まれなる足の速さ。巨人で最も俊足だった長嶋茂雄と100㍍競走をして勝つほどの韋駄天だったのだ。

 だが、当時はメジャーリーグ中継がないだけに、「モーリー・ウィルスって誰?」と柴田本人は首をかしげるしかなかった。もちろん練習方法も皆目、見当がつかない。

 川上の参謀・牧野茂によれば、

「バットを短く持って投手の方向に打球を打って出塁し、そして走る。そんな選手だよ」

 柴田はこの言葉を頼りに日本人初のスイッチヒッターへの第一歩を踏み出したのだった。

 左手で箸を持ち小豆を別の茶碗に移す。右手をポケットに入れたまま一日中過ごす。もっとも、それらの試みは左手を器用にするだけで打撃に好影響を与えるには至らなかった。

 むしろ、打撃の向上はバットをひたすら振ること以外にない。これまでより倍の練習量が必要だったが、その努力が実るのに時間はかからなかった。

 柴田は63年4月下旬のファーム戦で本塁打を左右の打席で1本ずつ放った。その結果を受けて通用すると踏んだのだろう。川上は柴田を一軍に引き上げた。公式戦初ホーマーの翌日、5月26日はダブルヘッダーだった。川上は迷うことなく柴田を1番・中堅に抜擢。公式戦初スタメンである。

 1試合目に大石清から2試合連続となる本塁打を右翼席に運んだ。2試合ともスタメン出場で計7打数3安打と大活躍だった。

「この3連戦で最大の収穫は柴田が立派に使えるという見通しが立ったことだ」

 こう川上が絶賛したように柴田はレギュラーの地位を自らのバットで引き寄せたのだ。

 そして、この年の球宴に外野手部門でトップ選出されるまでの選手になった。第1戦では「優秀選手賞」を獲得。ONに次ぐ第三のスターとして一流選手の仲間入りを果たした。

 後半戦も1番打者として活躍した。終わってみれば打率・258、7本塁打、27打点、43盗塁をマーク。以後、「赤い手袋」をトレードマークに巨人のV9に貢献した。

 柴田の両打は、全国の野球選手に大きな影響を与えた。スイッチヒッターブームが全国に起こったのである。

 プロ野球界の二代目は広島の高橋慶彦だ。その後も松永浩美、松本匡史、西村徳文、正田耕三、松井稼頭央、西岡剛ら錚々たる顔ぶれが並ぶ。

 ちなみに、日本球界初のスイッチヒッターは1リーグ時代に「ジミー堀尾」の愛称で知られた日系二世・堀尾文人。柴田の両打ちが「日本人初」と言われる所以である。

 柴田はスイッチヒッターの先駆者としてその名を球史にいつまでも残す。

(敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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