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記事全文を読む→伝説の刺青師が明かす“日活&東映スター”交流秘話「酒盛りしながら唐獅子牡丹を」
戦中は海軍に入隊し南方を転戦。九死に一生を得て復員後、映画俳優を志して銀幕の世界に飛び込んだが、数々のスターたちの背中に任侠を描き続ける「刺青師」を長年続けてきた男がいる。河野弘氏。戦争映画の軍事指導の他、私生活では戦死した兵士たちの鎮魂の活動も精力的に行う。そんな河野氏が振り返る「スターたちとの日々」とは──。
スクリーンに刺青が浮かび上がる。
龍と花との刺青を背負う親分玉井金五郎、たった一人で刀を清めるその姿に、殴り込んだ敵方も気迫に負け喧嘩ができずに引き上げる。「裕ちゃん」こと昭和の日本映画を代表する銀幕スター・石原裕次郎が演じる映画「花と龍」(1962年、日活)の名場面だ。
裕ちゃんの刺青を描いたのは、当時日活の大部屋俳優でもあった河野弘(90)。人気絶頂の裕次郎が、東映映画の十八番だった任侠映画に挑んだ。女房役の浅丘ルリ子、女刺青師の岩崎加根子らの好演も話題を呼び、裕次郎の任侠映画は、大ヒット。その後の任侠映画ブームの導火線ともなった。
「菊の花を白でやってみましょう」
「河野ちゃん、飲んでもいい?」
「どうぞ」
裕次郎の肌に刺青を描くのは1日がかり。念入りに河野の筆が、裕ちゃんの肌の上を滑っていく。まき子夫人が運んで来た七味と醤油のかかったスルメを肴に一升瓶が運ばれて、時ならぬ酒盛り。安心して筆を走らす河野、歌が出て連られて動く裕次郎。
「裕さん、動くと河野さんが描けないわよ」
見かねたまき子夫人が言う。裕次郎には唐獅子牡丹など何度か刺青を描いたが、いつも石原邸などで、楽しくなごやかで、そして真剣勝負の仕事だった──。
石原裕次郎をはじめ小林旭、高橋英樹、渡哲也、村田英雄、北島三郎、仲代達矢、田中邦衛、安藤昇、扇ひろ子、梶芽衣子、野川由美子、林与一、杉良太郎‥‥、はては谷ナオミや宮下順子といった艶美な世界まで、日活中心に昭和の銀幕スターの多くに刺青を描いたのが、河野弘。それは後年のVシネマやテレビまで続いたから、映画ファンならこの人の描いた刺青を一度は目にしたはず。個性派男優の顔とともに知る人ぞ知る存在だ。
河野は、藤田進主演で撮られた火野葦平原作初の映画化「花と龍」の東映版(54年)から刺青を描いた。「花と龍」は、北九州を舞台にした石炭荷役たちの生涯を描いた物語だ。
「僕が刺青を描くようになったのは、東映の『花と龍』が始まりなんだ。恩師の藤田進さんが主演でね。ご存知のように『花と龍』は火野葦平さんのお父さん、玉井金五郎の一代記。火野さんは、玉井金五郎は藤田さんしかいないって言ってね。プロデューサーのマキノ光雄さんが尽力して、新東宝から東映に藤田さんを借りてきて撮るんだ。打ち合わせの最後に刺青の事になり、藤田さんが『刺青だったら、この河野君が新東宝でやっていますよ』って言われたんだ。もともとは画家志望、見よう見まねで刺青も描いていた。舞台なんかでもね。藤田さんの奥さんのお父様が画家で、刺青の図案にも詳しかった。この方にいろいろ教わり、藤田さんの肩に刺青を描いた。それ以来ですよ、映画の刺青の河野となるのは」
この時、河野は火野葦平に聞く。
「先生、お父様の刺青は右だったのですか左だったのですか」
火野は答えたという。
「右は権力の象徴になる、父は自分を律するために見えない左肩だった」
短い会話だったが、その時、河野は刺青の心を知ったという。
◆文:ルポライター 鈴木義昭
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