いったい中畑監督の“舌好調”の源は何なのか。スポーツ紙デスクが振り返る。
「学生時代からミスターに憧れ、現役時も神のようにあがめてきた。駒沢大学野球部時代から目立とうとサングラスをかけプレーしてましたが、プロ入り後は、長嶋監督にアピールするため派手にヘッドスライディングをしていました。そのかいあってか、現在も何かあると必ずミスターに相談するほどの師弟関係を築いています」
代名詞でもある“絶好調”も、ミスターへのアピール精神から生まれた。
「79年4月のことです。入団4年目の中畑は、長嶋監督に調子を問われ、『まあまあです』と答えた。するとそれを聞いていた当時の土井正三コーチに中畑は、『お前ぐらいの選手が“まあまあです”って言って使ってもらえるか。調子が悪かろうが“絶好調です”と答えろ!』と説教された。中畑はいたく感服し、以来三振しても『絶好調!』を連呼。サードのポジションをつかんだんです」(前出・デスク)
その後、サードを争うことになったのが、現巨人軍監督の原辰徳(53)。前出・野球ライターが言う。
「81年、4番サードだった中畑は、ケガのためルーキーの原にポジションを奪われ一塁手に転向。以来、ライバル関係にある2人ですが、ある時、某スポーツ紙に『中畑と原は犬猿の仲』という記事が載った。中畑は、遠征先の原の部屋に行き、『この記事読んだか?』と原に尋ね、『ここに書いてあることは、本当だよな!』と言い捨て部屋を出た。原はもちろん部屋にいた周囲の人間は、冗談とも本気ともつかぬ中畑の行動に戸惑っていましたね(笑)」
もちろん、しっかり「実績」も残している。
「中畑は、選手の労働組合であるプロ野球選手会の初代会長に就任し、選手の待遇改善に尽力した熱い一面も持っている。プレーヤーとしても現役最後の試合となった89年の日本シリーズ対近鉄戦では、3勝3敗で迎えた第7戦に代打で出て、勝利を決定づけるホームランを放ち花道を飾った」(前出・野球ライター)
一方、プライベートでの素顔について、前出・スポーツ紙デスクはこう明かす。
「歌が大好きでプロ級です。レコードも3曲出していて、よく新宿の常連カラオケスナックに吉幾三らと通っていました。十八番も吉の『酒よ』で、自身のデビュー曲『十和田丸』も吉の作詞作曲。実は『十和田丸』を吹き込む前、当時すでに曲が完成していた『雪国』と『どちらかの歌をデビュー曲に選んでいいよ』と吉に言われていたそうで、後日、中畑は『雪国を選んでいたら印税生活ができたなあ』とボヤいてました。2時間の講演会を依頼され、1時間以上も歌っていたこともあって、口癖も『バッティングにスランプはあっても、喉にスランプはない』です」
そんな中畑監督はかつて90年代の巨人コーチ時代、選手に対し、写真週刊誌対策として独自の理論を語っていたという。
「写真誌に撮られそうになった時の対応をこう力説してました。『その瞬間に股間を出せ! そうすれば掲載できないだろ。それがダメなら首をグルグル回せ。顔がブレて誰だかわからない!』とね」(前出・デスク)
ある意味、ミスターの愛弟子らしい奇想天外な発想力と言うべきか。
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