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記事全文を読む→田中角栄 日本が酔いしれた親分力(22)周りを取り込む温かな人柄
何より人を愛し、人に愛された男だった──あまたいる政治家の中でも、田中角栄が特別である理由はここにある。「ロッキード事件」をきっかけに、その運命は大きく変わることとなったが、田中が世に遺したエピソードや言葉は、今なお人々の心を熱く揺さぶり続けている!
田中角栄がいまだ人々に愛されているのは、ひとえに情の人であったことだ。
1963年(昭和38年)の暮れ、当時大蔵省主税局税制第一課長の山下元利は、田中角栄大蔵大臣のいる大臣室に向かっていた。
山下元利の表情は暗かった。まるで処刑場に引かれていくような心境であり、胸には辞表を入れていた。
山下が責任者となって、翌年度の所得税法の改正案がまとめあげられ、その閣議決定も無事に済み、国会に提出されていた。ところが、改正案の内容の中でも、最も肝心な税率表の数字がまちがっていたのだ。
原因は、コンピュータの取り扱いミスであった。山下は、胸の潰れるような思いを抱えていた。
〈原因は何であれ、取りかえしのつかない失敗をしてしまった〉
山下は、主税局長の泉美之松に報告し、善後策を講じることにした。泉主税局長も、さすがに深刻な顔になった。
「政府が国会に、ご審議願います、と言って出した法案がまちがっていたわけだから、もし野党が正面切って問題にしてきたら、大変な騒ぎになる。大蔵大臣の責任問題にもなりかねない。とにかく、大臣に謝ることにしよう」
山下は予想していた。
〈激しい人だから、今回のミスについてはさぞ激怒するだろうな〉
山下は、辞表を出す覚悟で、大蔵大臣室に入った。
山下は、身長178センチ、体重90キロ近いという巨体を丸め、恐縮しながら田中にこれまでのいきさつをしゃべり、詫びた。そして、次の瞬間の田中の罵声を覚悟していた。
ところが、田中は、人なつこい眼を細めて笑った。
「なあに、たいした問題じゃないよ。日本のソロバンが、コンピュータのミスを発見した、ということにしておけばいいじゃないか」
山下が辞表提出まで覚悟していた問題は、それで片がついてしまった。
所得税法改正案は、揉めることなく成立した。
山下は、胸をなでおろしていた。
〈田中角栄という男は、実に太っ腹な大物だ。おかげで道を外さないで済んだ〉
山下は、後に田中派の幹部となる‥‥。
田中角栄事務所といえば、金がどんと積んであるイメージがあるようだが、実際は、まったく違って質素なものだった。元秘書の朝賀昭によると、ボーナスは、必ず田中角栄が直接渡したという。その時、決まって田中が言う言葉がある。
「すまんな。薄くてすまん」
申し訳なさそうに、そう言う。
その金額は、多いとは言えなくても家族が食べていくには十分である。基本的に、公務員の年齢給に準じた報酬だった。
田中角栄が総理大臣になった時、番記者の発案で、「友情のメダル」というようなものが作られた。
メダルといってもメッキの安物だったが、それを30個作り、1人ずつが持つことになる。ナンバー1の番号のメダルは田中角栄が持ち、ナンバー2は内閣官房長官の二階堂進が持った。残りの28個のメダルを、朝賀が配った。
配られたメダルの番号順に意味はない。あいうえお順でもなければ、歳の順でもない。取りに来た順番ごとに、次々と配っただけである。
それだけ、田中角栄は田中番の記者たちと心が通い合っていて、同志と言える関係であった。
作家:大下英治
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