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記事全文を読む→「ミスター・長嶋茂雄」を育んだ佐倉ものがたり(7)学生時代のヤンチャ伝説
長嶋の佐倉中学、佐倉一高(現・佐倉高校)時代にはヤンチャ伝説が残されている。自らケンカを売ることはなかったが、売られたケンカは買う主義だった。
臼井駅から佐倉駅へ、電車通学を始めた佐倉中学の入学式のときだった。佐倉駅を出たとたん、足を思いきり踏みつけられた。
「痛いじゃないか!」
長嶋が抗議すると、足を踏みつけた中学生は鼻で笑った。
「ボヤボヤしてるからだ。どけ!」
“チビ”という綽名(あだな)があるほど体が小さかったせいでナメられたのである。
「あやまれよ、人の足を踏みつけて」
頭に血がのぼった長嶋は、その中学生にむしゃぶりついていった。偶然、中学の先生が通りかかり、大事に至らなかったが、この一件で“チビ”という長嶋の綽名が全校に知れ渡ることになる。
高校時代には、こんなことがあった。小林が長嶋と隠れて煙草を吸っているときである。兄の武彦が忽然と現れた。武彦はなぜかいつも長靴を履いており、足音が聞こえなかったのである。
2人は慌てて火をもみ消し、煙をのみ込んだ。すると、しばらくして茂雄の鼻孔から、そろりと白い煙が出てきた。小林は直立不動のまま、必死に笑いをこらえた。2人が大目玉を食らい、説教されたのはいうまでもない。
その頃の武彦は“特攻帰りの武ちゃん”と呼ばれ、子供たちから一目置かれる存在だった。
武彦は太平洋戦争が始まると、「お国の役に立ちたい」と、少年航空兵を志願。栃木県壬生の航空隊に入隊。飛行訓練を積んでいるとき、終戦になり、「お国の役に立ちたかった」と、臼井に帰ってきた。持ち前の向こう意気の強さに、“特攻帰り”の凄味が加わり、ただならぬ雰囲気を漂わせていたのである。
茂雄のヤンチャ伝説はまだある。仲間が京成電車の中でトラブルに巻き込まれ、チンピラ2人組が殴り込みにきたことがあった。長嶋家の斜向かいにあるくず餅屋に茂雄と小林がたむろしているときだった。
「顔を貸せ!」
凄まれ、小林は負けじと板きれを手にし、表に出た。相手が刃物をちらつかせていたからにほかならない。
両方が睨み合った末、1対1で片を付けることになった。
そのとき、
「よし、おれがやろう」
と一歩前に出たのが、茂雄だった。その頃、身長は180センチ近くになっており、紺色のウインドブレーカーがよく似合った。綽名は“チビ”から“大将”に変わっていた。
いざ1対1の対決となったとき、遠巻きにした誰かが武彦の名前を出した。そのとたん、2人組は塩をかけられたナメクジのようになった。
「きょうだけは、かんべんしてやっぺ」
チンピラがしっぽを巻いて逃げ出すほど、“特攻帰りの武ちゃん”の名前は近郷近在に鳴り響いていたのである。
松下茂典(ノンフィクションライター)
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