8月22日にマンションから飛び降りて壮絶な最期を迎えた歌手・藤圭子(享年62)。近年は消息もつかめていなかったとはいえ、昭和を代表した歌姫であり、宇多田ヒカルの母としての顔も含め、世間に与えた衝撃は絶大だった。そして没後から3カ月が経った今...
記事全文を読む→宇多田ヒカル
今回のアンケート、ランク外ながらも見逃せない方がおりました。河合奈保子(50)でございます。10年以上、第一線から離れているのに15票も獲得されたのです。あの大きな胸が忘れられないのか、私は戸惑っております。理由を芸能記者に聞きました。「河...
記事全文を読む→四十九日を過ぎても収まらないのが、藤圭子の衝撃死直後から勃発した骨肉バトルだ。宇多田家側に“忌み嫌われている”ような扱いを受けている藤圭子の実兄・三郎氏(63)の身内を直撃した。藤圭子が自殺した直後から、不穏な空気が漂っていた。藤と離婚した...
記事全文を読む→正子さんが初めて藤に会ったのは、ニューヨークのカフェでお茶を飲んでいる時だった。「日本人らしい女性が前を通り過ぎたと思ったら、すぐに戻ってきて『日本人ですか?』と聞かれました。その時は気づかなかったのですが、それが藤圭子でした。彼女に『アパ...
記事全文を読む→「昭和の歌姫」の衝撃自殺から四十九日が経過したタイミングで、大物ノンフィクション作家・沢木耕太郎氏が「緊急刊行」した藤へのインタビュー本。取材は33年前に行われ、当時、出版されるはずだったが、なぜ今まで封印されていたのか。かつて藤とニューヨ...
記事全文を読む→06年3月3日、ニューヨークのJFK国際空港にて、多額の現金を没収されるという事件が起きた。これが久々に世に出た藤圭子の名前だったが、その金額が約5000万円であったことも人々を驚かせる。ヒカルの莫大な印税の一部が母親に渡ったとはいえ、海外...
記事全文を読む→「ちょっと、ウチの娘がマライア・キャリーよりもすごいんだから!」宇多田ヒカルが9歳になり、家族3人で結成した「U3」のアルバムを発売した頃、圭子は会う人ごとにアピールした。作曲家・平尾昌晃は、あまりの熱意に驚いた記憶がある。かつて圭子のマネ...
記事全文を読む→歌手として稀代の才能を惜しむ声は、今も鳴りやまない。ただ、どれだけアンコールの拍手があろうとも、藤圭子という歌手がこの世に蘇ることはない。いや、その死を迎える前から、みずから「歌手・藤圭子」を葬り去っていた。それは「昭和歌謡」という呪縛から...
記事全文を読む→ハワイでカラオケ教室を成功させ、現地で有名な日本人の1人に挙げられるのが関口愛子である。62年には「トリオこいさんず」の一員として紅白にも出場したが、引退後の藤圭子とも親交を持った。「引退してハワイにしばらく滞在していたのね。当時の私と洋服...
記事全文を読む→デビューを前にレコーディングが続き、石坂の作詞(一部は作曲も)によるシングル候補は4作になった。榎本は、勝負曲は「圭子の夢は夜ひらく」(70年4月)であったが、発売は3作目に置いている。この考えは「艶歌の竜」と呼ばれた伝説のディレクター・馬...
記事全文を読む→衝撃の飛び降り自殺から間もなく1カ月──。70年代を象徴した「藤圭子という歌姫」の死は、今なお多くの謎を残したままだ。その遺体は2人の親族以外の誰の目にもふれず、別れを告げる場も用意されていない。デビューがそうであったように、幕引きもまた“...
記事全文を読む→70年の紅白初出場は、実は「いきなり大トリ」との声もあった。シングルもアルバムもトップの売上げを独走した圭子だったが、さすがに女王の美空ひばりからは奪えなかった。ただしこの年、ヒット曲のないひばりの大トリには「司会との二役は初」という話題性...
記事全文を読む→「上を向くな。しゃべるな。うつ伏せで暗い顔をしろ」石坂が圭子に課した“三原則”だった。千秋は、本来は明るくしゃべり好きな圭子が、歌のイメージに沿って「暗い影」を成立させていることに目を見張る。「千秋さんにはたくさんのウソをついてきました」後...
記事全文を読む→デビュー当時、しばしば「お人形さんのよう」と形容された。色白の愛らしい顔だちは、演歌歌手と思えぬほど際立っていた。さらにもうひとつ、デビューと同時に日本中を席巻したことで、藤圭子は自分の時間を持てぬほどの激流に巻き込まれる。それこそ「人形の...
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