当時の歌謡界は「興行師」と呼ばれる者たちが全国にいた。客を呼べる人気歌手を呼び、近隣の地域を含めて何カ所かの興行が組めるようにスケジュールを調整する。藤圭子のように10代であっても、興行が打てれば「先生」とか「看板」と呼ばれる世界だった。「...
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ドラマ「斉藤さん」から「NEWS ZERO」まで硬軟に幅広く活躍中の桐谷美玲が、2度目の舞台に挑戦する。その中で、ラブシーンに初挑戦するのだ。桐谷が主演を務めるのは「飛龍伝21~殺戮の秋~」だ。故・つかこうへいの代表作と知られているが、それ...
記事全文を読む→1980年代の漫才ブーム。この時、レギュラー番組をテレビ週14本、ラジオ週5本も抱えていた島田洋七(63)は芸能界の頂点にいた。だが、それから4年で、屈辱の日々を送ることになる。──19本あったレギュラー番組が、漫才ブームの終焉とともに次々...
記事全文を読む→熱海から帰ったその日に連絡僕はその後「浅草新喜劇」という劇団を作り、その舞台をTBSテレビの向井さんというディレクターがたまたま観ていてくれて、テレビ出演の道が開けます。僕はテレビの生CM出演のチャンスに、NG19回という大失敗をし、一時期...
記事全文を読む→「風立ちぬ」の製作を最後に、引退を表明した宮崎駿監督(72)。累計興行収入80億円を突破し(8月26日現在)、次回作にも期待がかかる中での衝撃ニュースに、新聞やテレビは大きく取り上げ、その偉大な功績を称えた。だが、その裏でビミョーな空気とな...
記事全文を読む→98年、一粒種の娘・ヒカルの歌手デビューにより、藤圭子は“宇多田ママ”として芸能界に捲土重来を期した。みずからが表舞台に立つことはなかったが、その8年後の06年、思わぬ形で大衆の好奇の目にさらされることになる。それがギャンブルだった。スポー...
記事全文を読む→生涯に結婚した相手こそ2人だけだった藤圭子だが、絶世の美貌を世の男女が放っておくはずがなかった。謎の多かった私生活での魔性素顔のベールを剥ぐ。69年に「新宿の女」で鮮烈なデビューをし、瞬く間にスター歌手となった藤だが、そのわずか2年後の71...
記事全文を読む→忘れ去られた「昭和の歌姫」の藤圭子が再び脚光を浴びたのは98年。彗星のごとく現れ、「平成の歌姫」となった宇多田ヒカルの母親としてだった。理想の家族に見えた“宇多田ファミリー”は、世にも奇妙な形態を重ねた。「あの2人、6回の離婚と結婚を繰り返...
記事全文を読む→女優・嘉門洋子(33)が綴る小説連載が「週刊アサヒ芸能」9月10日発売号からスタートする。タイトルは「ブラッディドール堕ちたアイドル」。副題も<「薬物&ヤクザ愛人」疑惑に翻弄された現役女優が綴る芸能界私小説>と衝撃的。作家の新藤冬樹氏がプロ...
記事全文を読む→「ネタにもならない駄作」「原作への愛が感じられない」「見ていて恥ずかしくなりました」「日本映画の終焉」‥‥。散々な書かれっぷりである。これは現在、大々的に公開中の映画「ガッチャマン」を見た人の感想コメント。どんな駄作でもゴリ推しファンの投票...
記事全文を読む→自殺という衝撃的な人生の幕引きを選択した天才歌手。その生涯を振り返ると、陰と陽を交互に行き来していたと言わざるをえない。しかし、日の当たる場所にいる時でも、日陰から“暴力社会”の住人たちが忍び寄り、彼女に常に付きまとい続けていたのだ。99年...
記事全文を読む→「人間じゃなく作り物のフランス人形になりたい」と公言するヴァニラ。今年4月にテレビ番組「私の何がイケないの?」(TBS系)に出演し、総額1000万円の全身整形を告白。その後も整形を繰り返し、現在は整形回数30回、総額は2000万円を超えたと...
記事全文を読む→女子アナたちは誤解されている──領収書の件で、その人たちにつけいる隙を与えてしまった?「そういうことだと思います。僕は1つのミスも許されない立場だったにもかかわらず、そういうことをしてしまった。だから最終的には僕の不注意です」──今は納得し...
記事全文を読む→昔、堀ちえみちゃんから、「萩本さんと『コント55号』って何か関係があるんですか?」と聞かれたことがありました。「テレビを観てたら萩本さんが映ってて、その下に『コント55号』っていうテロップがあったんですよ」「コント55号」の結成は1966年...
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