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記事全文を読む→武一族「天才騎手のスパルタDNA」(3)100通りの展開を考えた
水戸正晴記者が証言する。
「『馬に応じて乗り方を変えるんですか』と質問したところ、『レースによっては100通りの展開を考えることもある』でした。自分の騎乗馬と、ライバルになる数頭の出方とペースをシミュレーションするとそれぐらいになり、『だから眠れなくなることもある』と」
タケホープの調教師は、邦彦の競馬に対するそんな研究熱心な姿勢を買って騎乗を依頼したのだろう。それだけに、不勉強な記者の取材にはまともに答えない一面もあった。水戸氏は、
「優しい性格ですけど、下手に質問するとしゃべってくれない。暗に競馬をもっと勉強しろ、と。ただし、一度懐に飛び込めば丁寧に話をしてくれました」
競馬界の広報マンを自認する豊が、どんな質問にも応じるのとは対照的だ。
ところで邦彦の、騎手としては減量に苦しむ172センチの長身はハンデになっておかしくなかったが、上体を起こす騎乗フォームで克服した。馬に負担をかけない乗り方で、長距離戦に向いていた。3000メートルの菊花賞で3勝、ダービーや有馬記念で勝ち鞍があるのはその証左だろう。ただし、気性に難がある馬は不得手だった。かつて邦彦の成績を調べたことがある競馬ライターによれば、
「長距離馬は性格のおとなしい馬が多いものですが、短距離馬にはいわゆるクセ馬がいる。短い距離のGIでは桜花賞を2勝しているだけなのは、そのせいではないでしょうか」
クラシックジョッキーとして名をはせた70年代半ばからは関東馬によく乗り、事実上はフリーだった。現在のフリー騎手全盛の先駆者であり、ライバルだった福永洋一が(落馬事故で騎手生命を断たれる前の)元気な頃、「騎手の東西の垣根を払ってくれたのが邦チャン。どんなに感謝しても感謝しきれません」と言っていたことがあるほどだ。調教師免許を取った84年に引退宣言、騎手としての最後は翌85年2月、京都競馬場でのレースだった。
通算1163勝は引退当時の史上5位。GIは菊花賞3勝を含む8勝、そして何より関西の騎手では初の1000勝騎手だった。
さて、邦彦に限らず、調教師になるには試験を受けなければならないが、これが超狭き門。毎年1桁台しか合格せず、受験倍率は20~30倍にもなる。実技の前に学科試験(一次試験)があり、調教師を目指す騎手は本業をこなしながら勉強しなければならなかった。毎年のように受験回数が2桁になる合格者が話題になったりするのは、それだけ負担が大きかったからだ。
邦彦が厩舎を開業したのが87年。その翌年から「1000勝騎手は一次試験免除」という制度ができたのだが、これはもちろん邦彦の偉業がきっかけだった。
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