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記事全文を読む→歴代総理の胆力「西園寺公望」(2)最期の言葉は「ヒゲをそってくれ」
一方、生い立ちを振り返ると、西園寺の“お公卿(くげ)さん”としての家柄は抜群であった。京都生まれの西園寺は徳大寺家で出生、西園寺家の養子になり幼名を美丸(みまる)から公望と改名した。徳大寺、西園寺の両家とも公卿としてのランクは「九清華(くせいか)」に入り、これは「五摂家(ごせっけ)」に次ぐランクである。ちなみに、「五摂家」とは、鎌倉時代以降の摂政・関白に任じられる家柄であり、近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家の総称である。
しかし、西園寺は単なる“白塗り”の公卿ではなかった。7、8歳で酒とタバコをおぼえた超早熟児で、剣術、馬術も巧み、王政復古を論じて戊辰戦争に従軍するなど、生まれついての“異端児”の側面があった。
また、フランス留学で身につけたリベラリズムは、政治よりむしろ文化面に傾斜、第一次内閣時代でも当時の売れっ子作家らとの交流を楽しむといった具合だった。森鴎外、幸田露伴、島崎藤村、泉鏡花、国木田独歩らと「雨声会」なる交流の場を作り、酒を飲みながら、天下国家論、文学論をたたかわした。特に「牛肉と馬鈴薯」などの作品で知られる国木田独歩とはウマが合い、酔っぱらってはたびたび取っ組み合い寸前の熱い議論を展開させたものだった。
大正8(1919)年1月、全権委員としてのパリ講和会議から帰国後は、執事1人と、長く雇っていた女中5人、コック1人とともに、静岡県興津(現在の静岡市)に「坐漁荘」と名乗っての居を構えた。名称の由来は、「権力あくなき群魚者の中で、ただ一人坐漁する」という中国の故事からとった。静岡の地から相も変わらぬ権力争いと定着せぬリベラリズムへの絶望感を、孤高、冷ややかに眺めていた姿が想像できる。
晩年も健康そのもので晩酌の日本酒二合は欠かさず、主治医が高齢ゆえの節制と養生を口にすると、「病気があるから医者がいるんで、皆、元気なら医者はいらんことになる」などとへらず口、ユーモアを欠かさなかった。亡くなったのは、昭和15(1940)年11月24日。腎盂炎で寝込んでいたが、女中に「おい、ヒゲをそってくれ」と言って事切れた。享年91、妾はいたが、生涯独身を貫いた。
一方で、教育には一貫して関心が高く、京都帝国大学、明治大学、立命館大学の創立にも尽力した。特に立命館大学では、今日でもこのリベラリストを「学祖」としているのである。
■西園寺公望の略歴
嘉永2年(1849)12月7日、京都生まれ。ソルボンヌ大学卒業。第二次伊藤内閣文相兼外相、第三次でも文相を歴任した。枢密院議長、政友会総裁を経て、内閣を組織。総理就任時、56歳。パリ講和会議首席全権。昭和15年(1940)11月24日、91歳で死去。国葬。
総理大臣歴:第12代1906年1月7日~1908年7月14日、第14代1911年8月30日~1912年12月21日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。
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