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記事全文を読む→新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「鎖国路線だった全日本もUインター相手に開国」
1990年代、新日本プロレスは他団体との対抗戦によって強さを誇示し、興行的な成功を収めた。中でも95年10月9日、東京ドームにおける武藤敬司と髙田延彦の頂上対決をメインイベントにした、UWFインターナショナルとの全面対抗戦は、今も日本プロレス史上最大の対抗戦と言われている。
一方の全日本プロレスは鎖国路線を取って三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太(現・建太)の四天王が他の追随を許さないクォリティの試合を提供していたが、それは〝受け身が取れないプロレス〟と呼ばれるまでに進化。もはや限界点に達しようとしていた。
そうした中、96年6月に川田利明が「刺激が欲しいし、もっと自由にならなきゃいけないと思う。羽ばたいてみたいっていうか、ツバサは持っているんだけど、籠の中じゃ羽ばたけない。ウチのレスラーはみんな頑張っているけど、見返りが少ないよね。もっと脚光を浴びてもおかしくないと思う。お客さんが入らなくなってからでは遅いんだよ。お客さんに〝この試合を観たい!〟って思わせる状況が大事なんだよ」と、四天王プロレスのマンネリ化に警鐘を鳴らした。
川田は前年95年10月25日の日本武道館で、Uインターのトップ外国人選手だったゲーリー・オブライトとシングルマッチで激突して「全日本VSUWF」の緊迫感溢れる試合をやってのけた。
全日本の大勝負はピンフォール決着が暗黙のルールだったが、川田はあえて腕ひしぎ十字固めで勝利。何もかもがそれまでの全日本の試合とは異質なものだった。その刺激を川田は忘れられなかったのだろう。
この川田発言が引き金になったかどうかはわからないが、ジャイアント馬場が動いた。8月15日付の日刊スポーツで「頑なに門戸を閉ざしているわけではない。過去に問題のない団体とならば交流戦もあり得る。髙田のUインター? ウチとどうのこうのあった団体ではないから何も問題はないよ」と発言したのである。
そして9月2日、Uインターは9月11日の神宮球場大会に川田が出場して高山善廣と対戦することを電撃発表した。実は全日本とUインターの交流は馬場からアプローチしたもので、日刊スポーツの記事はそれを踏まえたものだった。
95年10月から新日本との対抗戦をスタートさせたUインターは、その後、天龍源一郎率いるWARなど、様々な団体と絡んで全方位外交を展開していたが、馬場は当時の週刊プロレスのターザン山本編集長を介して、Uインターの鈴木健取締役に「今すぐということではないが、交流戦はできるか?」と打診したのだ。
全日本からのアプローチは、9月11日の神宮球場で新日本との提携が終了するUインターにとっては渡りに船だった。9.11神宮球場のビッグマッチで高山の対戦相手に予定していたベイダーがドタキャンしてきたことで、鈴木は早々に馬場に協力を求めた。
「ウチはゲーリー・オブライトかスティーブ・ウイリアムスを貸してほしいと希望したんだけど、馬場さんの方から〝川田か田上じゃダメかい?〟って言ってきたんです。私は全日本に詳しくなかったから、会社に戻って髙田さんに報告したら〝えっ、川田を貸してくれるの!? そっちの方が全然いいよ!〟って、喜んでいましたね」(鈴木)
かくしてUインターの9.11神宮球場に〝開国の志士〟として出場した川田は「俺は普段通りの全日本プロレスの試合をする。UWFのリングでUWFと同じことをやっていたら、俺が目立たなくなっちゃう」と語ってリングに上がった。川田はラリアットをキャッチしてラリアット、ジャンピング・ハイキック4連発で高山に快勝してみせた。
全日本とUインターの交流戦は翌97年夏の神宮球場で髙田&安生洋二と三沢絡みのタッグマッチ、その先には三沢と髙田の一騎打ちというプランが浮上していたが、この96年12月27日の後楽園ホール大会でUインターは崩壊してしまった。
鈴木はすぐさま安生とともに新団体キングダム設立に動いて「名前が変わるだけなので、お付き合いは継続しましょう」と馬場に申し出た。年明け1月26日の全日本の後楽園ホールを訪れた高山がUインターで旧知のゲーリー・オブライトとの合体を表明。3月1日の日本武道館で川田&田上VS高山&オブライトの世界タッグ戦が実現して、川田がストレッチ・プラムで高山にレフェリー・ストップ勝ち。田上VS高山の「相撲VSUWF」も大観衆を沸かせた。
キングダムの設立が正式発表された3月30日には、愛知県体育館で同団体所属として佐野友飛(当時)が参戦。渕正信とタッグを組み、ジョニー・スミス&ザ・トルネードに快勝している。
当初、計画されていた三沢と髙田の対戦は、髙田がヒクソン・グレイシー戦に照準を合わせて総合格闘技イベント「PRIDE」に走ったために実現しなかったが、高山は99年5月には全日本所属に。その後、プロレスと総合格闘技を股にかける〝帝王〟となった。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。
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