もう真夏の外出は、根性で乗り切る時代ではないらしい。気象庁は今年、最高気温40度以上の日を「酷暑日」と新たに決めた。猛暑日を超える暑さが日常化したことで、服そのものが冷却機器になる流れも加速している。これまでのファン付きウェアは「現場作業用...
記事全文を読む→黒幕たちの“極秘”調査ファイル〈葛西敬之〉(1)
政界のウラで暗躍した黒幕的な人物の活躍の場は、冷戦終結やバブル崩壊以降、極端に減っていった。そんな中、「最後の黒幕」ともいえる人物が、保守陣営の仕掛け人として大きな影響力を発揮したJR東海の元会長、葛西敬之だろう。
葛西は1940(昭和15)年、兵庫県明石市に生まれたが、高校教師の父の勤務の関係で、東京で育っている。東京大学卒業後に国鉄に入った。その先輩職員の妹と知り合って結婚するが、妻の実家が有力者の家系だった。祖父が前橋弁護士会会長から群馬県議会議長まで務めた人物で、父が戦前・戦中の鉄道省で四国鉄道局長、大臣官房長、鉄道公安局長を歴任し、戦後は参議院総務部長、会計検査院長などを務めた人物だった。結婚も政界に葛西を近づける一因となった。
東大法学部卒のキャリアだった葛西は、国鉄では最初から幹部候補で、結婚後まもなく米国へ公費留学。帰国後も順調に出世していった。主に労組対策を担当し、静岡鉄道管理局や仙台鉄道管理局で総務部長、東京本社経営計画室主幹、同職員局次長などを歴任した。強固な左翼だった国鉄の労組とやりあう中で、頭角を現していった。そうした反左翼の活動をすることで、保守系の政治家や官僚、さらに公安警察幹部などにも人脈を広げた。
葛西がいちやく注目を集めたのは、1987(昭和62)年の国鉄の分割民営化で主導的な役割を果たした時だ。葛西がその時に組んだのは、中曽根康弘とその行革ブレーンだった瀬島龍三だった。葛西は国鉄の民営化だけでなく分割化を主導したが、それは強固な国鉄の労組の解体・弱体化を企図したものだったと言われる。当時の国労(国鉄労働組合)は日本最大の労組で、日本社会党の最大の後ろ盾でもあった。結局、葛西は国鉄分割で、その勢力の弱体化に成功した。
同年、新規に発足したJR東海の取締役総合企画本部長に就任。その後、1988(昭和63)年に常務取締役総合企画本部長、1990(平成2)年に代表取締役副社長、1995(平成7)年に代表取締役社長、2004(平成16)年に代表取締役会長、2014(平成26)年に代表取締役名誉会長に就任した。役職はこのように変わったが、代表取締役は1990年から28年間にわたって務めるという、まさにJR東海では突出した存在だった。
葛西は財界にあって、保守系の論客としても知られた。特に社長・会長時代はしばしば政治的な発言を展開。保守派の政治家や官僚、メディアなどと関係を深めた。2000年代初め、葛西は同じ保守派の財界人たちを集め、自分の東大時代の学友だった自民党の与謝野馨を支援する懇親会を始める。その会はやがて財界と政官界の保守派との関係を深める性格が強くなっていく。「四季の会」と名付けられたそのグループは、その後の葛西の政財界ネットワークの中核となっていく。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)
アサ芸チョイス
ドジャース・大谷翔平の第二子誕生をめぐって、フェミニストを名乗る女性たちがSNS上で「多産DVだ」「年子出産は女性虐待だ」と騒いでいる。大谷夫妻は昨年4月20日に第一子誕生を報告、この6月20日に第二子誕生をアナウンスした。これら誹謗中傷コ...
記事全文を読む→一発出たら同点。3-7と4点をリードされて迎えた7回裏、二死満塁の場面。この日いちばんの勝負どころで、広島・新井貴浩監督がベンチから送り出した代打は捕手・石原貴規だった。結果は空振り三振。最大の山場でなぜ、より長打を見込める打者を送り込まな...
記事全文を読む→これはトレードのショーケースなのだろうか。そう思ってしまったのは、阪神タイガースの梅野隆太郎捕手が2軍から再昇格し、6月23日のヤクルト戦に即スタメン出場して攻守に高い能力を見せつけたことだ。1-0とリードした5回に二塁打を放ってチャンスメ...
記事全文を読む→

