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記事全文を読む→三越事件の「女帝」竹久みちがインタビューで訴えた「女だから裁かれた」「セクハラはなくならない」
東京女子医大の元理事長による背任事件、三菱UFJ銀行の元管理職行員による貸金庫窃盗事件など、女性による巨額の経済犯罪が相次いだ。このニュースを聞いて筆者は、「三越事件」で日本中から注目された竹久みちのことを思い出した。2005年に、かつて「三越の女帝」と呼ばれた彼女にインタビューする機会があったからだ。
企業などで経済犯罪が起きた際に、権力を握る女性を称して、メディアは「女帝」と呼ぶ。その元祖と言えるのが、1982年に日本中を騒がせた「三越事件」の中心人物、竹久みちだろう。
老舗デパートの三越を舞台に、岡田茂社長とその愛人である彼女が立場を利用し、長年にわたって不当な利益を得ていたとする経済事件である。岡田社長が役員会議で解任を決議された際に叫んだ「なぜだ!」というひと言は、流行語にもなった。
竹久はアクセサリーを製作・販売する「アクセサリーたけひさ」と、ヨーロッパから装飾品などを輸入する「オリエント交易」の経営者として、三越と取り引きをしていた。岡田社長が宣伝部長だった頃から親交があったとされ、当時のワイドショーや週刊誌の格好のネタとなった。
名門百貨店の「独裁者」と、その愛人でもある「女帝」によるスキャンダラスな図式がクローズアップされ、大きな騒動に発展。テレビや週刊誌の格好のネタとなった。
岡田社長ともども特別背任で逮捕され、控訴審の最中に岡田社長は死去。竹久は最高裁まで争った結果、1997年10月28日に所得税法違反と特別背任の罪で、懲役2年6カ月の判決が下された。執行猶予がつかない、厳しいものだった。
筆者がインタビューしたのは、出所した5年後。当時75歳の彼女は世間を騒がせた頃の眼光鋭い強面の雰囲気から一変し、その表情は穏やかだった。ただ、カラフルなスカーフを巻くファッショナブルないで立ちは、75歳とは思えなかった。
事件について聞くと、
「結局、私は女だから裁かれた」
と振り返る。厳しい判決が下されたことに納得できておらず、
「私が愛人の立場を利用して不当な利益を得るというのは、当時の三越のシステムから不可能。三越には年間計画というのがあり、年度の最初に予算とか販売計画などがキッチリ決まってしまう。私の会社はその計画に沿って仕入れをするだけです」
当時の三越のシステムを詳細に説明した上で、自身の潔白を主張した。
「ウチは三越に出入りする4000から5000ある問屋のひとつにすぎない」
2000年に保釈されると、裁判中から行っていた、働く女性を支援する活動を本格的に開始する。
「あの事件が起きた頃は『女性の自立』とか『社会進出』はまだ珍しかったし、働く女性がひとりで生きていくのは非常に難しかった。それは今でも同じ。職場での執拗なセクハラや女性蔑視はなくならないし、男性中心の世界であることに変わりはありません。ただ、私はもっと激しい男女差別の中を生き抜いてきた」
筆者は当時、その言葉を半信半疑で聞いていた。ただ、彼女が現在とは比較にならないほど極端な男性社会の中で生きていたのは確かだ。彼女が犯した罪はともかく、そんな荒波を生き抜いたことには感嘆するしかない。
彼女は女性の社会進出のために残りの人生を捧げ、2009年に他界した。「女帝」と呼ばれ、日本中の女性を敵に回した人物は女性社会進出のための貢献者、という意外な一面を持っていたのである。
(升田幸一)
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