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記事全文を読む→二宮清純の「“平成・令和”スポーツ名勝負」〈ヤジまで飛んだ“微妙判定”の波紋〉
「鬼塚勝也 VS タノムサク・シスボーベー」WBA世界スーパーフライ級王座決定戦・1992年4月10日
スポーツには、多かれ少なかれホームタウン・ディシジョン(地元の選手やホーム有利に見える判定)が存在する。ボクシングは比較的、その度合いが強い競技と言われている。
とはいえ、ホームタウン・ディシジョンにも許容できるものとそうでないものがある。この試合は、後者だったのではないかとして議論を呼んだ。
1992年4月10日、東京体育館。WBA世界スーパーフライ級王座決定戦は、同級1位の鬼塚勝也と同級2位のタノムサク・シスボーベー(タイ)の間で行なわれた。
無類の強さを誇った前王者カオサイ・ギャラクシー(タイ)が、19度の防衛に成功したあとベルトを返上。これを受けての王座決定戦だった。
鬼塚はここまで18戦全勝(16KO)。日本同級王座を3度防衛するなど順調にキャリアを重ね、トップランカーへと駆け上がった。
一方のタノムサクは、2度目の世界挑戦。ここまでの戦績は37勝(21KO)2敗。
1回こそジャブの交換に終始しただけだったが、2回に入ってタノムサクが攻勢を強める。鬼塚をコーナーに詰め、ボディブローから左右のショートアッパーを叩き込んだ。
3、4回もタノムサクのペース。左右のフック、ショートアッパーを的確にヒットさせ、鬼塚を棒立ちにさせた。防戦一方の鬼塚は3回に鼻から出血、5回には右まぶたを切った。
優勢に試合を進めるタノムサクは、後半に入ると打ち合いを避け、足を使い始めた。逃げ切れると判断したようだ。
そして迎えた最終の12回、鬼塚は大きなストライドで攻め込んだ。クリーンヒットの数では老獪なタノムサクを下回ったが、必死の形相で食い下がった。それでも前半に失ったポイントを取り戻すまでには至らなかったように見えた。
試合終了を告げるゴングが鳴り終わるや、鬼塚はがっくりとうなだれ、赤コーナーのターンバックルに深々と頭を垂れた。一方のタノムサクは勝利を確信したかのように二つの拳を高々と突き上げた。
この試合は私もリングサイドで取材していたが、コントラストを描いた試合後の両者の姿が、そのまま結果に反映されるように思われた。
ところが、勝ったのは鬼塚。3人のジャッジのうちひとりは2ポイント差、残りの2人は1ポイント差で鬼塚を支持した。館内に微妙な空気が流れた。
「いかさま!」
リングサイドから観客のヤジが飛んだ。日本人の新王者に対し、日本人からヤジが飛ぶのは珍しい。
試合後の控室。鬼塚は傷ついたまぶたをおさえ、しぼり出すように答えた。
「試合中のことは全く覚えていない。どんなパンチを食ったかも覚えていない。ええ、何も覚えていないんです。ただ『負けられん』とだけ思って頑張った。
僕はこれまで自分の夢のために、多くの人にわがままを言ってきた。それをウソにだけはしたくなかった。とにかく、今勝ってここにいることが信じられない。世界チャンピオンだなんて信じられません。しかし僕は、まだ力不足。今日の試合でそれを痛感させられました」
鬼塚は、この後、5連続防衛に成功する。王座在位期間2年5カ月。王座決定戦の苦い経験を力に代えたと言えよう。
二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森保一の決める技法」。
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