日本に「首取り職人」といわれる武士がいたことを知っているだろうか。古来、斬った相手の首を将軍や武将、主君などに確認してもらう「首実検」という儀式があった。最初にこの「首実検」を行った人物とされるのが、平安時代後期の武将で源頼朝、義経の祖先である源義家、八幡太郎義家だという説がある。
平安後期に陸奥国で起こった前九年の役の際、義家軍は敵将を討ち取るとその首を持ち帰り、本人かどうかを確認していた。この戦いの顛末を描いた「陸奥話記」に、首実検の話が記載されている。これは首を取った武士の「名誉」を周囲に示すと同時に、戦いの戦果を確認する意味もあった。
この首実検がのちの武家社会では恒例化されていくが、後世になるとただ討ち取り、血まみれになった首をそのまま差し出すことはなくなった。
まず取った首を酒で洗い、髪の毛を整える。場合によっては白粉、あるいは唇に紅を差し、化粧首にすることもあった。主君などに持参する際には見栄えが重要なポイントで、首が潰れたり汚れたままでは印象がよくない。そのため、化粧首にする。女性のように顔を整えられた首は、丁寧に処理された証明だったのである。
その首に木でできた名札を添えて白い布で包み、差し出すのだ。時として、箱に入れることもあったという。
この儀式がすっかり定着した戦国時代には、奇妙な職業である「首取り」「首洗い衆」「首取衆」などと呼ばれる専門の武士や雑兵が誕生した。彼らは合戦後に戦場を巡回して、誰の首かを確認後に回収。名札を付け、首の切り口を整えて化粧をほどこし、髪を綺麗にした上で、場合によっては爪まで整え、首桶に収納したという。ある意味、映画「おくりびと」に出てくる納棺師の元祖のような仕事である。
(道嶋慶)