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「横浜ベイスターズ VS 阪神タイガース」セ・リーグ公式戦・1998年10月8日
横浜ベイスターズ(現横浜De NAベイスターズ)を38年ぶりのリーグ優勝、日本一に導いた権藤博は、自他ともに認める継投の名手である。
言うまでもなく本人は、中日に入団以来、2年連続で30勝以上(1961年=35勝19敗、62年=30勝17敗)をあげた大投手。
しかし「権藤、権藤、雨、権藤‥‥」というフレーズが流行するほどの酷使がたたり、投手としては短命に終わった。
引退後、コーチとなって間もない権藤に、大きな影響を与えた人物がいる。南海でもプレーした元メジャーリーガーで、野村克也の下でヘッドコーチとして「シンキング・ベースボール」の理論的支柱を担ったドン・ブレイザーだ。
権藤が、このケースは前進守備か定位置のままか、と守備位置の決め方について訊ねたところ、ブレイザーは造作もなく、こう答えたという。
「そんな細かいことより、勝利のために大切なのは、8、9回の継投だよ」
以来、これが権藤の終生のテーマとなる。
その権藤の名言に「継投は夕立の傘」というものがある。どういう意味か。
権藤いわく「継投は夕立の傘と一緒。雲行きが怪しくなったら早くさすこと。ちょっとでも遅れたらズブ濡れですよ」
横浜の監督に就任して1年目のリーグ優勝、日本一は、ある意味、権藤野球の集大成と呼べるものだった。
9回、試合の幕を引くのは“大魔神”こと佐々木主浩。その前の7、8回を五十嵐英樹、島田直也、横山道哉、阿波野秀幸、関口伊織といった面々が支えた。
まさに適材、適所、そして適時。誰にも居場所と役割が用意されていた。
98年10月8日、甲子園球場。横浜はマジックナンバーを1として阪神との最終戦を迎えた。
2対3と1点ビハインドの8回表、横浜は2死満塁から8番・進藤達哉がライト前にタイムリーを放ち、4対3と逆転した。
ここで権藤は勝負に出る。最後の1イニングではなく、残り2イニングを守護神の佐々木に任せる決断をしたのだ。
権藤は球審からボールを受け取ると、静かにマウンドの端に立ち、佐々木を待った。その姿は、まるで殴り込みの夜、橋の袂で相棒の池部良を待つ高倉健。映画「昭和残俠伝」のラストシーンのようだった。
38年ぶりの悲願達成まで、あとアウトひとつ。9回裏2死一塁で迎えたバッターは、苦手とする新庄剛志。「彼の左足をあげるタイミングと僕のリリースがいつもピタリと合ってしまう」。佐々木は、そう言ってよく首をかしげていた。
用心深く攻めた結果、カウント3‒0。ここで佐々木は踏ん張る。外角にストレートを配し、フルカウントに。
そして最後は“伝家の宝刀”フォークボール。低めのボール球に新庄のバットが空を斬った瞬間、佐々木は渾身のガッツポーズをつくり、マウンド上でとびはねた。
選手たちに促されて歓喜の輪に加わり、甲子園の夜空を5回も舞った権藤は、右手と左手の人差し指を、高々と宙に突き上げた。
「私は選手に任せただけで、(試合中は)ただドキドキしていました」
野球は選手がやるもの─。就任早々に選手ファーストを打ち出した権藤の、それが率直な気持ちだった。
二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森喜朗 スポーツ独白録」。
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