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記事全文を読む→「そんな選手、今の日本にいるか?」釜本邦茂が晩年も語っていた「釜本キック」の絶対的な決定力
1968年メキシコ五輪で得点王に輝いた、日本サッカー界のレジェンドFW・釜本邦茂さんが、8月10日午前4時4分、肺炎のため逝去した。享年81。生涯を通じて“日本サッカーの王様”と称され続けた存在だった。
代名詞は、軸足の左足をボールの前に踏み込み、右足の甲で豪快に蹴り込む「釜本キック」。誰にも真似できない必殺の形を持ち、決定力は絶対的だった。
「釜本さん引退後、日本代表に本格的なセンターFWが不在となり、それは今も続いている。パスワーク主体の日本の攻撃スタイルは、裏を返せば“釜本不在”が背景にあるのです」(日本サッカー協会関係者)
本人もその自覚は十分で、晩年も現役時代を振り返り、右足の甲を指して「『ここにパスを出せ。ワシが100%決める』と言っていた。そんな選手、今の日本にいるか?」と豪語していたという。
1991年、93年のJリーグ開幕へ向け松下電器の監督に就任。そのままガンバ大阪の初代監督となった。当時、多くのクラブがジーコ氏ら世界的スターを獲得する中、釜本氏の人脈でブラジル代表FWカレッカ(後に柏レイソル加入)やDFカフーの獲得候補も浮上していた。しかし当時のフロントの動きが鈍く、交渉は頓挫。94年に監督を解任され、「素人ばかりのクラブ経営に嫌気が差し、その翌年に参議院選へ出馬した」(前出・古参サッカー記者)との逸話も残る。
どんな場面でも信念を貫き、日本サッカーの象徴であり続けた釜本邦茂さん。ご冥福をお祈りします。
(小田龍司)
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