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記事全文を読む→プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈長池徳二VS大杉勝男「本塁打王5年戦争」〉
1972年10月15日、西宮球場での阪急(現オリックス)対ロッテ26回戦はシーズン最終戦である。
今、筋書きのない本塁打王争いがフィナーレを迎えようとしていた。
4回、打席に立った長池徳二(のちに徳士に改名)は落ち着き払っていた。マウンドには八木沢荘六が立っていた。
2回の第1打席では、フルカウントから内角のスライダーを捉えて左翼席にソロ弾を叩き込んでいた。これは本塁打王争いで東映(現日本ハム)の大杉勝男と並ぶ40号だった。
さて、第2打席である。カウント2-1からの4球目はチェンジアップだった。
思い切り引き付けて振り切った打球は左中間席で弾んだ。41号。
ロ 1 0 0 0 0 0 1 0 0=2
阪 0 1 0 1 0 1 0 0 ×=3
長池が大杉を抜いて「2年越しの因縁」に決着をつけて単独トップに立ち、69年以来、2度目の本塁打王を獲得。大杉の3年連続本塁打王を阻止した。
7月16日の時点で大杉は27本、長池は12本だった。シーズン前半で15本差あったものを引っ繰り返した。これは今なお破られていない記録である。
長池は試合後の取材にこう答えている。
「最終戦で2本も打てるとは、自分でもびっくりしている」
そして静かに続けた。
「大杉はさぞかし残念やろうね。たった1本差なのだから‥‥」
当時、パ・リーグの本塁打王といえば南海(現ソフトバンク)の野村克也だった。野村は61年から68年まで8年連続で本塁打王を獲得していた。だが、2人の若きスラッガーがその背に迫っていた。
長池と大杉である。69年からの5年間で長池が3度、大杉が2度本塁打王に輝いている。
2人には共通項が多かった。ポジションは長池が外野、大杉は一塁だったが、ともに右の4番打者であり、年齢も近い。生まれは長池が44年2月、大杉は45年3月。1歳違いである。
長池は徳島県・撫養高(現・鳴門渦潮高)から法政大学を経て65年にドラフト1位で阪急に入団した。64年には東京六大学の首位打者を獲得している。
大杉は岡山県・関西高校から63年に丸井に入社したが、64年にチームが解散したため東映にテスト生として入団した。
67年、2人はともに27本塁打を放ち、スラッガーとしてレギュラーに定着。
また、2人にはそれぞれ名伯楽がいた。
長池の師は、5度の本塁打王に輝いたヘッドコーチの青田昇である。監督の西本幸雄が「日本人の長距離砲に育てたい」と65年から指導を任せたのである。
大学時代は首位打者を獲ったものの、通算本塁打は3本だった。課題は内角打ちだったが、青田の徹底指導で克服した。
大杉の師は打撃コーチの飯島滋弥である。52年には打率3割3分6厘で首位打者に輝いている。飯島の大杉への名語録は、いまだに語り継がれている。
「大杉、あの月に向かって打て!」
68年9月某日、後楽園球場での試合だった。この日の大杉は4タコだった。振り遅れて、打球が左翼方向へ飛ばない。後楽園の左中間上空に月が出ていた。飯島が自信なさげに打席に向かう大杉に、月を指差しながら授けた言葉だった。
大きな気持ちで打席に立ち、打撃フォームを小さく固めず、伸び伸びとバットを振れという意味だった。
以来、アッパースイングに磨きをかけて打撃開眼し、大打者に育っていく。
この2人が最も熱く燃えたのが71年と72年だった。
71年、2人の本塁打王争いは最終戦までもつれた。大杉は先に日程を終えていて、本塁打数は41本でトップだった。
一方、長池は1本差の40本。10月6日の対西鉄(現西武)最終戦に全てをかけることになった。
監督の西本は打席を増やそうと、4番ではなく1番に起用した。公式戦初のことだった。ところが、これは空回りに終わる。試合は延長11回までもつれ、6度打席が回ってきたが、内野安打1本に終わった。
大杉の2年連続本塁打王が決まった。
長池は「調子は良かったが力み過ぎてしまった」と話すと、スポーツマンらしく大杉を称えた。
「おめでとう。また来年挑戦するよ」
そして冒頭に記した72年、1年前と同じ状況が巡ってきた。長池は急造の1番ではなく、いつも通りの4番に座った。そして勝った─。
「たったの1本差なのだから‥‥」
これは1年前の雪辱を果たした言葉だった。
長池は阪急一筋14年間で1390安打、338本塁打、通算打率2割8分5厘の成績を残し、2度のMVPに輝いた。
大杉は73年に日拓、74年に日本ハム、さらに75年から83年までヤクルトに在籍した。パの10年間で1171本、ヤクルトの9年間で1057本、その合計安打数は2228本。セ・パ両リーグで1000本以上打った唯一の男である。引退会見の席でこんな俳句を披露した。
「さりし夢 神宮の杜に かすみ草」
大杉は1メートル81センチ、体重は88キロ、頑健な肉体の持ち主だった。パワーファイターで、ケンカ最強伝説を残している。乱闘では常に主役。だが、気は優しくて力持ちの典型だった。普段は明るく、必ず味方を守った。
かすみ草の花言葉は「幸福」「感謝」「清らかな心」「無邪気」である。ユニホームを脱ぐ心境を重ねたのだろう。
大杉は92年4月30日、肝臓ガンのため他界した。享年47歳だった。
あの大杉が‥‥誰もがその早すぎる死に驚き悼んだ。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり
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