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記事全文を読む→二宮清純の「“平成・令和”スポーツ名勝負」〈3代目若乃花の「小よく大を制す」〉
「若乃花 VS 曙」大相撲1月場所/1997年1月25日
3代目横綱・若乃花は、デビュー時の1988年3月場所から93年3月場所まで若花田を名乗り、新関脇となった93年5月場所から大関在位7場所目の94年9月場所までは若ノ花をしこ名とした。
若ノ花から若乃花に改名したのは、94年11月場所から。このしこ名で大関を22場所、横綱を11場所務めた。
大関に昇進したあたりから、若乃花は地方巡業であまり相撲を取らなくなった。これに対し「人気にあぐらをかいている」という批判が高まった時期がある。
後年、このことについて聞くと若乃花は「あのまま若い時同様にガンガンやっていたら、私はあと3年、いや5年は早く相撲をやめていたはずです」と言い、内情を明かした。
「私の場合は体が小さい。身上はスピードです。体を痛めてしまってスピードがなくなったら、私はただの力士に成り下がっていた。自分を守るためには、稽古で力をセーブする必要がありました」
ただし、と言葉を切り、こう付け加えた。
「稽古をおさえるようになったのは、あくまでも地位を得てから。若い頃は100番でも200番でも、それこそぶっ倒れるくらい相撲をとっていた。強くなれば土俵に残れるし、必然的に稽古量も増える。こういう下地があったからこそ29歳まで相撲を続けることができたんです」
若乃花が大関に昇進した93年9月場所の番付上位陣を見てみよう。
横綱・曙(233キロ)
大関・貴ノ花(150キロ)
同・若ノ花(134キロ)
張出大関・小錦(275キロ)
関脇・武蔵丸(235キロ)
同・貴ノ浪(163・5キロ)
張出関脇・琴錦(128キロ)
若乃花と琴錦以外は、全員150キロ超。こうした身体的ハンデをものともせず、若乃花は5度の幕内最高優勝(93年3月場所、95年11月場所、97年1月場所、98年3月場所、同年5月場所)を遂げた。小結時代に1回、大関時代に4回だ。
通算5度の優勝のうち、若乃花が「最も印象に残っている」というのが97年1月場所での3度目の優勝である。
1月25日、東京・両国国技館。14日目、13勝0敗の若乃花は、12勝1敗と星ひとつの差で追う横綱・曙と対戦した。勝てば、若乃花の優勝が決まる。
立ち合い、曙はいつものように諸手突きで若乃花の動きを止めにかかる。しかし、上体を後方にそらして圧力を微妙にかわした若乃花は、右を差し、腰を落として、前に出るタイミングを待つ。
曙が腰を引き、見方によっては臆病なほど、慎重な取り口に終始したのは、大関の投げを警戒したためだろう。
体重が134キロの若乃花が体重233キロの曙をコントロールしながら、土俵の好位置をキープする光景は、好角家にとってはたまらないものだった。
低い姿勢から、おっつけながら曙を土俵際に寄っていく若乃花。このままでは不利と判断した曙が、強引に前に出る瞬間を、大関は待っていた。
曙を土俵中央にまで引き戻し、右足で相手の左足をはね上げる。バランスを崩したところへ、豪快な下手投げ。次の瞬間、曙は根こそぎ引き抜かれた大木のように、裏返しになって土俵に転がった。
体重差、約100キロ。小よく大を制す─。その手本のような一番だった。
二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森喜朗 スポーツ独白録」。
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