スポーツ
Posted on 2015年06月26日 17:56

故三沢光晴メモリアルツアーで緊急来日した“スタン・ハンセン”を独占インタビュー!「ジャイアント馬場を1人のレスラーとして意識していた」

2015年06月26日 17:56

20150625o

── 82年1月からは全日本に移籍して、今度はジャイアント馬場と闘うようになりました。

ハンセン 当時の私は手探りで自分を確立しようとしていた段階だったから、何も考えないで手加減もせずに馬場の巨体に思い切りぶつかっていただけだよ。それによって次のステージが開けたと信じている。

── 馬場さんには、ハンセンさんに全日本のそれまでのスタイルを変えてほしいという希望を持っていたと聞いたことがあります。

ハンセン 馬場と契約する時に『自分のスタイルを変えるつもりはない。今までどおりのスタイルでリングに上がって思い切り闘うだけだ』と言ったら、逆に馬場から『自分のスタイルを変えることは望んでいない。むしろ今までのスタイルで頑張ってほしい』と言われたことはある。でも、それは私自身のことで、全日本スタイルそのものを変えたいと馬場が望んでいたかどうかはわからないな。

── 馬場とはレスラーvsレスラーだけでなく、プロモーターとレスラーとしての直接のコミュニケーションもあったんですね。

ハンセン いや、最初の契約の時の『そのままのスタイルでやってくれ』という言葉どおりにやってきただけで、私は馬場をレスラーとしてしか見たことがない。自分のボスだと思ったことは1回もないよ。『社長だからケガさせたら大変だ!』などと考えたこと1回もなかった。特に最初の数年は、1人のレスラーとして思い切り叩きのめしてやろうという気持ちしかなかった。その後、馬場が自分よりもジャンボ鶴田や天龍(源一郎)を上げていこうと思って私に当てるようになったが、私は常に馬場を1人のレスラーとして意識していた。

── ジャンボ鶴田は、73年にテキサス州アマリロで新人時代を過ごした仲間でもあるんですよね?

ハンセン お互いにグリーンボーイだったが、私よりも素質があるジャンボのほうが先を走っていたよ。アマリロで同じ時間を過ごしたが、それほど親しいというわけではなかった。でも、今のこのタイミングで再会することができれば親友になれたと思う。ジャンボが若くして亡くなってしまった(00年5月13日に49歳で死去)のは本当に残念だ。

── 新日本のトップ外国人だった時代の80年、アメリカ本土ではジョージアで天龍と一緒でしたよね。

ハンセン 私も天龍もアトランタの同じ安アパートに住んでいたよ(苦笑)。彼がカレーライスをごちそうしてくれたから、お返しにホットドッグとポークビーンズを作ったら『これだけかよ!』って文句を言ってたな(笑)。

カテゴリー:
タグ:
関連記事
SPECIAL
  • アサ芸チョイス

  • アサ芸チョイス
    社会
    2025年03月23日 05:55

    胃の調子が悪い─。食べすぎや飲みすぎ、ストレス、ウイルス感染など様々な原因が考えられるが、季節も大きく関係している。春は、朝から昼、昼から夜と1日の中の寒暖差が大きく変動するため胃腸の働きをコントロールしている自律神経のバランスが乱れやすく...

    記事全文を読む→
    社会
    2025年05月18日 05:55

    気候の変化が激しいこの時期は、「めまい」を発症しやすくなる。寒暖差だけでなく新年度で環境が変わったことにより、ストレスが増して、自律神経のバランスが乱れ、血管が収縮し、脳の血流が悪くなり、めまいを生じてしまうのだ。めまいは「目の前の景色がぐ...

    記事全文を読む→
    社会
    2025年05月25日 05:55

    急激な気温上昇で体がだるい、何となく気持ちが落ち込む─。もしかしたら「夏ウツ」かもしれない。ウツは季節を問わず1年を通して発症する。冬や春に発症する場合、過眠や過食を伴うことが多いが、夏ウツは不眠や食欲減退が現れることが特徴だ。加えて、不安...

    記事全文を読む→
    注目キーワード
    最新号 / アサヒ芸能関連リンク
    アサヒ芸能カバー画像
    週刊アサヒ芸能
    2025/7/22発売
    ■620円(税込)
    アーカイブ
    アサ芸プラス twitterへリンク