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記事全文を読む→ニッポンの“CMシンデレラ”50年の名場面(5)「荒木由美子・メリットシャンプー(1977年)」
榊原郁恵とともに、第1回の「ホリプロタレントスカウトキャラバン」でデビュー。健康的な郁恵に対し、荒木由美子(56)は、しっとりとした魅力を打ち出した。
77年6月、阿木燿子・宇崎竜童の手による「渚でクロス」で歌手デビュー。実は、CMのほうがそれより早かった。
「76年の8月にオーディションに受かって、10月にはコマーシャルを撮っているんです。それが花王の『メリットシャンプー』と、SEIKOの腕時計『ジョイフル』でした」
「メリット」は、それまで外国人モデルが務めていて、日本人としては初代になる。シャンプーのシェアで一、二を争う人気商品であり、テレビだけでなく、映画の合間にもCMが流れた。
83年に結婚する湯原昌幸も、荒木をCMの印象で見ていた一人。
「初めて会った時に、『キミ、シャンプーの子だよね』と言われました。映画館の大画面からも流れる『もう、フケなしね』のフレーズが記憶に残ったみたいです」
真ん中から分けたつややかな黒髪は、新人ながら、適役に違いなかった。ところが、意外な事実を荒木は口にする。
「実は私の髪って、少し茶色がかっていたんですよ。だからCM撮影の前の日に黒く染めるのがノルマだったんです」
そのための準備もそうだが、当時のアイドル歌手は寝る間もないほどのハードなスケジュール。CM撮影の合間に、強烈なライトが心地よくて眠りそうになることが何度もあったのだとか。
また同期の郁恵とは同じホリプロの寮に住んでいたが、お互いが多忙なため、顔を合わせることは少なかったという。
同じ年に同じ事務所からデビューした2人は、徹底的にイメージ戦略の差別化を図った。
「例えば水着でも、郁恵ちゃんは太い柄の健康的なワンピース。ところが、同い年なのに私は黒の水着で、ヒモ1本だけみたいな大人っぽい路線でした。水着になる機会は多かったけど、CMでやるのはイヤだった記憶があります」
2人の仲はよかったが、それぞれのスタッフはライバル意識が強かったようだ。
やがて荒木は83年に結婚と同時に芸能界を一時引退。専業主婦として義母の介護や子育てに追われるが、デビューCMの花王から「もう一度出てほしい」との話が舞い込む。
「すでにホリプロを退社していたので、同じ『荒木由美子』の名で出ていいものかどうか聞いたんです。そしたら『やりなさい』と送り出してくれました」
新妻らしさを生かした「ファミリーフレッシュ」に、湯原との夫婦共演である「トイレクイックル」と、花王とは30年以上のつきあいになった。
また荒木自身も本格的に復帰し、介護経験を生かした講演活動などで多忙な日々を送っている。
「思えばレコードよりも花王とSEIKOのCMのほうが先だったので、2社共同で後援していただいたデビュー発表会で、レコードをすごくたくさん買っていただいたんです。そうした縁も含めて、アイドル時代には楽しい思い出しかないですね」
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