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記事全文を読む→天才テリー伊藤対談「山本晋也」(3)赤塚先生は予測を超えた変な人だよ
テリー その後、カントクは赤塚不二夫さんが企画・原案・脚本を手がけたギャグ映画「下落合焼とりムービー」(79年)を撮るじゃないですか。これは、どういう経緯だったんですか?
山本 赤塚先生と知り合ったのは、1978年に映画を撮った時、「ポスターイラストを赤塚さんに描いてもらおう」って頼みに行ったのがきっかけ。
テリー あ、それまで面識はなかったんですか?
山本 もちろん。これがバカバカしい映画でさ、昔「演歌チャンチャカチャン」って歌がはやったでしょう? あれをポルノにしたらおもしろいんじゃないかって、演歌を全部春歌に変えてやったわけよ。「3日遅れのおソソを乗せて~♪」とかね(笑)。
テリー アハハハハ!
山本 当時から赤塚先生が変わった人だという噂は聞いていたし、「こんなくだらない映画なんだから、ぜひ先生にポスターをお願いしよう」と、紀伊國屋書店でサイン会をやってるところを出待ちして、声をかけたわけ。
テリー え、アポなしで?
山本 そうなんですよ。そしたら「キミの映画は知ってるよ!」って、快く引き受けてくれて。だけどあとから聞いた話だと、僕が喫茶店で大きな声でポルノ映画の話をするもんだから、恥ずかしくって早く帰らせるために話を切り上げたらしいんだけどね(笑)。
テリー そこから、赤塚さんとつきあうことに?
山本 当時、赤塚先生には「面白グループ」という遊び仲間がいたんですね。最初は滝大作さん、高平哲郎さん、山下洋輔さん、坂田明さん、内藤陳さんとかがいて、のちにまったく無名だったタモリさんや所ジョージさん、それからTHE ALFEEの坂崎幸之助さんなんかが加わっていく。そこへ僕も、自分の映画の常連だったたこちゃん(たこ八郎)や柄本明を連れて、飲みに行くようになって。
テリー 僕も、たこさんから、話をよく聞かせてもらって、「俺も仲間に入りたいなぁ」って、いつも羨ましく思ってましたよ。
山本 ああ、そうだったんだ(笑)。それで、ある日の深夜3時ぐらいに、面白グループと飲んでいた赤塚先生から突然電話がかかってきたんですよ。「今、映画を作ることになったんだけど、撮るのはカントクに決まっちゃったの」って(笑)。
テリー ワハハハ、すごい話だ。ところで、カントクから見て、赤塚さんというのはどんな人でしたか?
山本 とにかく僕たちの予測を超えた変な人でしたね。例えば「明日、餃子パーティをやるから来ない?」って言われて、次の日に先生の事務所に向かったら、赤塚先生が道路に布団を敷いて寝てるんです。
テリー 何ですか、それ?
山本 いや、僕もわからないから聞きましたよ。そしたら、「これ、おもしろい?」って、それだけ(笑)。もう一事が万事、そんな調子でね。映画も、ものすごくお好きで、仕事場には映画のVHSがズラ~ッと並んでて、話しだすとまあ、細かいし、うるさい(笑)。
テリー カントク、こりゃ赤塚さんの話だけで本が1冊書けそうですね。
山本 そうだな、いつか書きたいね。よく覚えてるのは、「先生、よく『これでいいのだ』っておっしゃってますけど、何でもかんでもに使っちゃ変じゃないですか?」って言ったら、「あれは、高いハードルを越えた時に初めて使う言葉なんだよ」って。
テリー 悩み苦しまないとその境地まで行けない、ということですね。深いな。
山本 そう。だから僕は、死ぬまで「これでいいのだ」って言うことはないんじゃないかな。
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