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プロ野球「師弟の絆」裏物語 第1回イチローと仰木彬の「唯一無二」(2)“自意識過剰”なルーキー時代

 

 イチローにとって、仰木は理想の上司の一人として尊敬できる存在であった。特に前任者の土井正三(故人)に疎んじられていただけに、ある意味では「希望の星」でもあった。

 イチローと仰木の出会いもある意味、運命的であった。

 93年のハワイ・ウインターリーグでのことだった。オリックスの監督を務めていた仰木は、当時主力選手だった田口壮とイチローが、リーグに派遣されていたことから、ハワイまでわざわざ訪ねて2人を食事に招待したのだ。当時、同席した田口はその時の様子を振り語る。

「真っ白なドレススーツを着て、パンチパーマでサングラス。普通の雰囲気じゃないと思ったけど、今までのどの監督よりもかっこいいなあと思った。ビールをついでくれて『今日は俺につがしてくれ。オフにはお前たちについでもらうから』と言って、乾杯したのを覚えています」

 その時のイチローは、それまでにないうれしそうな顔をしていたという。それはそうだろう。イチローといえば、入団2年目の段階で、素材のよさが認められながらも「上司の指示に従わない」という理由で干されていた存在である。

 92年夏、新潟の長岡悠久山球場で、当時、近鉄のエースだった野茂英雄のストレートをライトスタンドに本塁打を放ちながら「フォームを変えないかぎり、一軍に置けない」という理由で、翌日から二軍行きになったように、なかなか自分の存在価値を認めてもらえなかった。

 愛知県の名門、愛工大名電高校時代から“自意識過剰”と言われるくらい自信家だったイチローにしてみれば、自分の存在を認めてくれない上司に対してのイラダチは並大抵ではなかったはず。それだけに、新監督として来た仰木の存在は“地獄に見た天使”の思いだったのではないか。

 仰木は就任早々、イチローに可能性を見いだした。キャンプでは、鈴木というどこにでもある名前を変えるようアドバイスした。

「イチローと誰にも親しまれる呼び名に変えたほうがいい」

 これが現在に至るスーパースター“イチロー”の誕生につながったのだ。当時、まだ20歳になってもいないイチローにしてみれば、「自分のことを親身になって考えてくれる人」と出会えたことで「上司と部下」の信頼関係は構築されていったのである。

 ある意味、人間不信に陥りかけていた時に、出会った関係だからこそ、強い絆で結ばれていったのだ。

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