桑田真澄がテレビのヒーローインタビューに背を向けた。今後、一切の取材を拒否する─。
1990年5月8日、横浜スタジアムでの大洋(現DeNA)対巨人3回戦、巨人の先発・桑田が4安打の完封勝利で、チームの連敗を3で止めて首位に押し上げた。
打っても2安打2打点の活躍だ。堂々たるヒーローである。
巨 0 3 0 0 4 0 4 1 0=12
大 0 0 0 0 0 0 0 0 0=0
観客は声援を送らなかった。感動よりも呆気に取られていた。
桑田にとって、謹慎明け2日目のマウンドだった。鉄の心臓ぶりをいかんなく発揮したのだった。
開幕前、「桑田騒動」が勃発した。アドバイザリー契約を結んでいた、スポーツ用品メーカーの担当者が暴露本を出版した。中身は衝撃的だった。
裏金の要求、多額の不動産売買に精を出しているなどなど‥‥さらには、自分の登板日を外部に漏らしていたと告発した。
これが「登板日漏洩疑惑」として歩き出し「野球賭博に関与しているのでは」という憶測を呼んだ。スポーツ紙と夕刊紙、週刊誌が取り上げて大騒動となった。
選手生命にも影響するようなスキャンダルである。しかし、球団の調査により事実無根と判明した。
ただし、桑田が関係者から腕時計などの金品を受け取っていたことを報告していなかった。巨人は4月7日の開幕から謹慎1カ月、罰金1000万円を科した。
桑田の巨人入りには「密約説」が定着していた。85年、ドラフトの目玉はPL学園の桑田と清原和博だった。清原は尊敬する王貞治監督の巨人を熱望し、巨人もまた1位指名を公言していた。
一方、桑田は早稲田大学への進学を志望し、その受験票まで報道陣に見せた。
だが、ドラフトでは巨人が桑田を1位指名。裏切られた格好の清原は、記者会見で悔し涙を流した。
桑田は早大進学から一転、巨人入りを決めた。これでヒール(悪党)のイメージを持たれるようになった。
実際に密約はあったのか。真相はいまだに藪の中である。
桑田は実力で周囲の悪評を振り払おうとした。1年目は2勝止まりだったが、2年目は15勝を挙げて大活躍、完全にローテーション入りした。
3年目10勝、4年目17勝‥‥野球ファンは結果を出す桑田をエースとして評価した。人気も出てきた。
プロ入り5年目で、ヒールのイメージが薄れてきた矢先の大騒動が桑田を再び悪役に揺り戻した。
だが22歳の桑田、恐るべしだ。謹慎中の1カ月間を最大限に利用して、完璧なコンディションを作り上げていた。
立ち上がりは不安だった。しかし、4回以降は打者の内角を突いてストライクを取った。カーブ、スライダーの変化球が切れた。緩急自在である。
桑田は広報を通してコメントした。
「試合前はかなり緊張しました。勝とうとか、勝たなくてはいけないと思うと、かえってよくないので、自分をマウンド上で精いっぱいアピールしようと思っていました」
巨人と著者サイドは互いに相手を損害賠償などで東京地裁に訴えていたが、この日は「桑田裁判」が開かれていた。
そんな現実があっても関係ない。誰もが仰天したメンタルの強さを発揮した。
次の先発予定は中4日で13日、広島市民球場での対広島8回戦だった。
しかし12日の7回戦で、忍者騒動が発生した。ゲーム中に忍者の格好をした男が、客席からフェンスを越えてバックネットによじ登った。
男は〈巨人ハ永遠ニ不ケツデス!〉などといった垂れ幕を次々と掛けた。暴露本によって巨人批判が増えていた。球場全体を巻き込む騒乱ハプニングだった。
巨人はその余波を考慮して、桑田の登板を飛ばした。復帰2度目の舞台は15日、北九州での対ヤクルト6回戦である。
ヤ 0 0 0 0 0 0 0 0 0=0
巨 0 0 0 0 0 1 0 0 ×=1
心配無用だった。プロ入り初の2試合連続完封勝利だ。
前回は打線の援護で大量点を背負っての投球だったが、この日は駒田徳広が6回に放った適時打のみだった。
ヤクルト打線に8安打を浴びながらも自身が「勲章」と呼ぶ1-0完封だ。
「初回が終わったところで、今日は納豆投法だなと思った。打たれても打たれても粘り強く投げようと‥‥」
舌の回転は滑らかだった。続けた。
「やっぱり1つ勝っても、(次負けたら)喜びは半減する。もう1つ勝ちたかった」
「100人の味方がいれば100人の敵もいる」
取材拒否からの方針転換には、その100人の味方を考えてのことだった。
巨人は30試合を消化して20勝ラインに到達し、優勝に向かってばく進した。
さすがに、3戦目の先発となった22日の中日戦では負け投手となった。 このシーズンは1カ月の遅れをものともせずに14勝(7敗)、防御率2.51の成績を挙げて、いずれも同僚の斎藤雅樹に続いてリーグ2位と活躍した。
裁判は最終的に野球賭博には関与していない、また、そういう関係者との付き合いもないことを確認して和解することで決着した。
95年には右ヒジを故障し、トミー・ジョン手術を経て97年4月6日の試合で661日ぶりに復帰した。
ヒール像を自身のプレーと姿勢で振り払い、新たな桑田像を作り上げた。
現在、桑田は巨人の2軍監督として明日のチームを背負う若手を育てている。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。