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記事全文を読む→プロ野球「師弟の絆」裏物語 第3回 谷繁元信と権藤博の「一意奮闘」(2)
選手と監督の垣根を取り払った
当時の権藤はよくベンチから配球のサインを出していた。
「困ったら遠慮なくベンチを見ろ」
と言って谷繁にサインを出した。権藤が言う。
「(選手への指示は)出したくて出すのではない。思い切ってプレーに集中してくれればいい。責任は私が取るのですから」
近鉄時代の89年に、レギュラーとしてマスクをかぶっていた山下和彦(現DeNAコーチ)は、
「ベンチから権藤さんが『行け』って大声を出す。それが緩いボールを投げろっていうサインだった」
と振り返る。権藤は緩い球を上手に使う配球を好んだ。
谷繁自身も当時、こんなことを言っていたのを思い出す。「大矢さん(=明彦=。権藤の前任者)は、捕手の感覚。投手が投げやすいようにするにはという感覚なんですね。権藤さんはどういう球だったら打者が打ちにくいかという発想なんです。緩いボールを打たれても、『グッジョブ(いい仕事だ)』と言ってくれる。悪い判断をした俺が悪いって‥‥。『勇気を持って緩い球を使いなさい』というリードを教わったのは今に生きています」
権藤とすれば「指揮官が責任を取る」という当たり前のことだったが、キャッチャーの立場からすれば、緩いボールは使い方を一歩間違えると痛打を浴びることになる。時には試合の雌雄を決することにもなる。そんな時に“部下を守ってくれる信頼できる指揮官かどうか”ということが問われるのである。権藤の説明はこうだ。
「160キロを投げる投手がいても、まっすぐだけを投げれば打たれるのが、この世界。命までは取られはせんのだから、勇気を持って行きなさいと言いました」
当時、横浜の投手陣は、抑えの佐々木主浩以外は、先発の川村丈夫、野村弘樹、三浦大輔、斎藤隆の4本柱は、140キロ前半のストレートで勝負するタイプがそろっていた。決して球威で勝負する投手陣ではないにもかかわらず、他球団の打線を抑えられた背景には、谷繁の巧みなリードがあったことは間違いない。
権藤の選手掌握術は、他の指導者とはかなり異なるものだった。体育会系が主流の中で、権藤は、監督に就任した97年の秋季キャンプで「監督と呼んだら罰金」という規則を作った。選手たちは監督に対して、「権藤さん」と親しみを込めて呼んでいた。
「監督と呼んだら罰金」は権藤流のシャレであったが、権威や肩書でつきあっている間は本音は出てこない。本気で戦うには一人の「人間と人間」として手を携えて戦わなければいけないという“深意”があったのだ。
秋季キャンプの終わりの頃、酔っ払った主力選手の一人が「権ちゃん」と呼んだことがあった。さすがに「権ちゃんと呼ばれちゃったよ」と愚痴っていたが、逆に谷繁は秋季キャンプ終盤「3回ほど監督と呼んでしまいましたから」と罰金3000円を持ってきた。そんな監督と選手たちの“距離感”を見て、本気で戦える「チームの土台」が出来上がっていると感じたものだった。
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