1983年8月12日、タイガーマスクが虎のマスクとNWA世界ジュニア、WWFジュニアの2本のベルトを返上して人気絶頂のまま電撃引退。日本マット界は騒然となったが、新日本プロレスが揺らぎ始めたのは、その1カ月半前の6月30日の株主総会だ。当時...
記事全文を読む→アントニオ猪木
1982年2月の選手引き抜き休戦協定成立から、水面下で友好関係を強化していった新日本プロレスと全日本プロレス。83年1月2日の全日本・後楽園ホール大会に新日本の坂口征二副社長、新間寿取締役営業本部長がジャイアント馬場を表敬訪問するという“絵...
記事全文を読む→2月20日は、昨年10月に死去したアントニオ猪木さんの、80回目となるはずの誕生日だった。「これからね、このYouTubeの撮影終わってすぐ、猪木さんの誕生会に行くの。2月20日は猪木さんの80歳の誕生日なので。数十人集まって、猪木さんの『...
記事全文を読む→1982年2月7日、ホテルニューオータニにおけるジャイアント馬場とアントニオ猪木&新間寿(新日本プロレス取締役営業本部長)の会談によって、全日本プロレスと新日本の停戦が極秘裏で成立した後、両団体の関係は良好だった。同年4月21日には馬場─新...
記事全文を読む→1982年早々に、新日本プロレスvs全日本プロレスの仁義なき引き抜き戦争は決着がついた。2月4日の東京体育館におけるジャイアント馬場vsスタン・ハンセンが1月28日の同会場でのアントニオ猪木vsアブドーラ・ザ・ブッチャーに試合内容、観客動員...
記事全文を読む→テリー今年は猪木さんが亡くなったじゃないですか。どんな方だったんですか。武藤もちろん猪木さんは師匠には変わりないんですけど、俺、2001年に新日本プロレスを飛び出て、馬場さんの会社に移籍して。そこからずっとご無沙汰というか、縁が切れちゃって...
記事全文を読む→新日本プロレスがアブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜き、全日本プロレスがタイガー・ジェット・シンとスタン・ハンセンを抜き返すという、熾烈な引き抜き戦争が繰り広げられた1981年。年末にハンセンを抜いた全日本が逆転勝ちという印象が強い中、新日本...
記事全文を読む→大好評のうちに最終回を迎えたドラマ「silent」(フジテレビ系)。主演の川口春奈は、NHK朝ドラ「ちむどんどん」で主人公の姉役を好演した上で「silent」をヒットさせ、女優として最高の形で22年を締めくくることになった。だが、一人の女性...
記事全文を読む→行きすぎた言動は命取りだ。講演で若い女性向けマーケティング戦略を「生娘シャブ漬け」とたとえた吉野家常務も解任された。「ただでさえ『つゆだく』と注文するのは卑猥で恥ずかしいのに、今回の一件でさらに女性客が遠のいちゃうかもよ」(デーブ氏)何も女...
記事全文を読む→10月1日に他界した元プロレスラーのアントニオ猪木といえば、イベントなどでの「闘魂注入ビンタ」が思い出されるが、その先駆けとなる「スネ蹴り」があった──。そんなエピソードを明かしたのは、くりぃむしちゅーの上田晋也だ。爆笑問題の太田光とMCを...
記事全文を読む→10月1日に亡くなった新日本プロレス創設者・アントニオ猪木さん。そんな猪木さんの闘魂を受け継ぐべく、11月17日、東京・国立代々木競技場第一体育館で「新日本プロレス50周年記念 シンニチイズム ミュージックフェス」の開催が決定した。当日は、...
記事全文を読む→---アントニオ猪木さんが亡くなった直後、北朝鮮が日本本土に向かって弾道ミサイルを発射。猪木さんは政治家時代から北朝鮮中枢とパイプを保ち、交流していました。近年の政権は、拉致問題を交渉するための、きちんとしたルートを持っていないと聞きます。...
記事全文を読む→「燃える闘魂」アントニオ猪木さんが亡くなった。熱狂的な猪木信者とまではいかない、ただ、昭和のプロレスが好き程度の私でもショックだったのだから、真のファンの悲しみは計り知れないだろう。かつて偶然つけたテレビに映った初代タイガーマスクの四次元殺...
記事全文を読む→「猪木さんが亡くなった日に、あえて馬場さんとの秘話をもってくるとは、関根さんらしい追悼ですね」(芸能関係者)元プロレスラーのアントニオ猪木さんが亡くなった10月1日、お笑タレント・関根勤が、自身のYouTubeチャンネル〈関根勤チャンネル〉...
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