1986年春から88年春まで2年間続いた新日本プロレスとUWFの対抗戦はファンを熱狂させるも、アントニオ猪木と前田日明の頂上対決は遂に実現しなかった。新日本とUWFの闘いは、いつプロレスの範疇を超えてもおかしくない緊張感が魅力だったが、最終...
記事全文を読む→アントニオ猪木
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、新日本プロレスはオーナーのアントニオ猪木の介入によって格闘技路線にシフトしていったが、それに反発したのが現場責任者の長州力だ。「もう僕は会長(猪木)と一緒にやっていくっていうものには足が出ていか...
記事全文を読む→先週に続いて、今週も「ヤング龍二」の続きを。小学6年生の時、学校の行事で合唱コンクールが開催されることになったんです。合唱コンクールは授業ではありませんので、放課後にみんなで練習しなきゃいけません。当時、僕は落合学院という進学塾に通っていま...
記事全文を読む→今、日本全国でクマ被害が急増して深刻な問題になっているが、かつて“クマ殺し”の異名で格闘技ファンの注目を浴びたのが、極真空手コネチカット支部に所属していたウィリー・ウィリアムスである。ウィリーの名前が知れ渡ったのは1976年12...
記事全文を読む→40~50年前の記憶を辿りながら、「ヤング龍二」について語ろうと思います。生まれたのは東京・武蔵野市の武蔵境です。4歳の時、僕は入園を予定していた幼稚園を目の前にして、「ここに行くのは絶対に嫌だーーッ」と、尋常じゃない猛抵抗をしたみたいで、...
記事全文を読む→1976年6月26日、日本武道館で行われたプロボクシングWBA&WBC統一世界ヘビー級王者モハメド・アリとの格闘技世界一決定戦により、アントニオ猪木の名前は全世界に知られるようになった。猪木のもとには世界中から挑戦状が殺到。77年4月に「我...
記事全文を読む→1976年6月26日、日本武道館で行われたアントニオ猪木とプロボクシングWBA&WBC統一世界ヘビー級王者であり、プロスポーツ界のスーパースターだったモハメド・アリの異種格闘技戦は全世界から注目を浴びたが、まったく嚙み合わないまま15ラウン...
記事全文を読む→プロレスVS格闘技の最大の戦いは1976年6月26日、日本武道館で実現したアントニオ猪木とプロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリの格闘技世界一決定戦である。「今世紀最大のスーパーファイト」と謳われた一戦は、全米170カ所、カナダ15カ...
記事全文を読む→プロレスラーと他の格闘技者が激突する、異種格闘技戦が本格スタートとなったのは1976年2月6日、日本武道館で実現したアントニオ猪木と72年ミュンヘン五輪で重量級と無差別級の2階級金メダルに輝いた柔道世界一のウィレム・ルスカの一戦だ。21年(...
記事全文を読む→昔のドラマの再放送を見ると「この作品は××年に放送されたものです。現在においては一部不適切な表現も含まれますが、制作当時のオリジナリティを尊重し、編集をせずに放送させていただきます」といった注釈テロップが表示されることがある。その風潮を茶化...
記事全文を読む→10月1日で亡くなってから3年を迎えるアントニオ猪木さん。プロレス界が生んだ不世出のスーパースターであったが、同時に政治家としても活躍。90年の湾岸戦争の際、クウェートで141人の在留邦人が人質となった際には単身イラクに乗り込み、当時のフセ...
記事全文を読む→「黒いヒトラー」と呼ばれる権力の長に昇り詰め、政権下においては、逆らうものを片っ端から惨殺。その数30万人とも言われるのが、ウガンダのイディ・アミン元大統領だ。身長193センチ、体重100キロ超えの巨漢だったアミン元大統領は、ボクシングで東...
記事全文を読む→今年2025年3月6日の大田区総合体育館大会で、新日本プロレスは旗揚げ53周年を迎えた。全日本プロレスも、10月22日には53周年を迎える。振り返ると日本のプロレス界は、53年前の72年にアントニオ猪木が新日本、ジャイアント馬場が全日本を旗...
記事全文を読む→テリー猪木さんと最後にお会いできたのは?藤原亡くなる1年ぐらい前かな。猪木さんのユーチューブに呼ばれて行ったんだよ。でも猪木さんすごいよ。それまでぐったりしてたのにカメラが回った途端にシャキッとするんだな。テリーやっぱりスターですよね。どん...
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