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内閣総理大臣
政治
歴代総理の胆力「三木武夫」(1)「したたかさ」を物語る振る舞い
三木武夫の「したたかさ」について、かの百戦錬磨の田中角栄でさえ、天を仰いでこう言ったものだった。「三木をやり手の年増芸者とすれば、福田(赳夫)も大平(正芳)も女学生みたいなものだ。三木がプロなら、福田も大平もアマということだ。太鼓、三味線の…
政治
歴代総理の胆力「田中角栄」(4)清張いわく「50年に一度の天才」
そうした中で、一方で田中は「人材育成の名手」でもあった。かつて、田中が師として仰いだ吉田茂元総理が、「吉田学校」の中から、保守本流としての池田勇人、佐藤栄作、そして田中自身をも総理として輩出させたように、振り返れば田中はそれ以上の人材を政界…
政治
歴代総理の胆力「田中角栄」(3)“情と利”の人心収攬術
田中角栄は金脈・女性問題の不明瞭さが原因で、わずか2年の「短命」で政権の座を追われ、退陣後1年半後にまたぞろというべきかロッキード事件に連座したカドで逮捕。起訴された。そのロッキード事件の長い裁判の過程で病魔に倒れ、ここに至ってようやく、そ…
政治
歴代総理の胆力「田中角栄」(2)「短命政権」と「闇将軍」
政権を執った田中角栄は、早々と「決断と実行」ぶりを実践して見せた。「日本列島改造計画」「日中国交正常化」実現へ向けての“二刀流”である。田中政権2年余、「改造計画」は立ち上がったが、折から中東戦争による第2次石油危機に見舞われたことで、イン…
政治
歴代総理の胆力「田中角栄」(1)「コンピューター付きブルドーザー」の異名
昭和47(1972)年7月誕生した田中角栄内閣は支持率62%、不支持率10%(朝日新聞)という当時としては驚異的な数字を得ての登場だった。時に、田中は54歳と戦後総理として最年少であり、加えてそれまでの総理が官僚出身のエリートだったのに対し…
政治
歴代総理の胆力「佐藤栄作」(4)孤独な総理のトランプ占い
佐藤退陣後、熾烈な総裁選を経、田中角栄が福田赳夫を破って後継の政権となった。総理の重責から解放された佐藤は、妻・寛子のさしがね、服飾デザイナーの森英恵のアドバイスもあって、当時、流行の長髪にイメージ・チェンジをするなど、政権時とは打って変わ…
政治
歴代総理の胆力「佐藤栄作」(3)絶妙極まる「佐藤流人事」
「黙々栄作」の異名どおり、口数少なく、重心を低くしての長期政権7年8カ月で悲願の「沖縄返還」を実現させた佐藤栄作のリーダーシップを支えたのは、絶妙極まる「佐藤流人事」であった。その人事の基本原理は、「チェック・アンド・バランス」というべきも…
政治
歴代総理の胆力「佐藤栄作」(2)岸・佐藤兄弟「骨肉の争い」
その佐藤は、幼少時代は“劣等生”であった。小学校は入学時130人中、じつに127番だったというから、幼くして飛び切りの秀才だった実兄の岸信介元総理とは、だいぶ違うのである。しかし、なかなかの努力家で、旧制山口中学1年1学期の成績では全校で1…
政治
歴代総理の胆力「佐藤栄作」(1)佐藤の異名でもあった「黙々栄作」
先頃、安倍晋三総理に抜かれるまで、総理としての在任期間7年8カ月のレコード・ホルダーが佐藤栄作であった。佐藤は前任の池田勇人とともに、戦後政界の「ドン」的存在だった吉田茂元総理の、いわゆる保守本流を自任する政治家の集まりである「吉田学校」の…
政治
歴代総理の胆力「池田勇人」(4)聖火が消えるのを待って去る
酒豪、ヘビー・スモーカーだった池田に喉の異変があり、これがやがて癌と診断され、政権の激務に耐えられないところに至ったからだった。酒もタバコも旧制高校時代からで、例えば酒は総理になった頃が“ピーク”だった。まずビールをグラス2杯、次いで郷里・…
政治
歴代総理の胆力「池田勇人」(3)とてつもない「強運」の持ち主
池田内閣が進めた「所得倍増計画」は、当初目標の10年を経ずして、昭和43(1968)年の7年目にして達成された。弾みのついた経済の高度成長は、次の佐藤(栄作)政権の中期に熟成を見、昭和48(1973)年秋の「オイル・ショック」まで続くことに…
政治
歴代総理の胆力「池田勇人」(2)吉田茂に目をつけられた「出世魚」
さて、この池田、人間的魅力で求心力を高めた「野人宰相」とも言えた。どこか憎めぬヤンチャな言動、剛直と楽天、稚気豊か、明るく開けっ広げな性格、しかし一方で繊細さと優しさが同居、これに人材が集まったのだった。政権スタート時の政策運営のブレーンに…
政治
歴代総理の胆力「池田勇人」(1)「経済のことは、この池田にお任せ下さい」
前任の岸信介が、物情騒然の中で日米新安全保障条約を成立させたのと引き替えに退陣したあと、池田勇人は自民党総裁選を制して総理大臣のイスに座った。昭和35(1960)年7月である。池田は内閣のスタートにあたってあえて「低姿勢」を強調、併せて「寛…
政治
中曽根康弘の「戦後最大のパフォーマー」秘話(2)名優は「出」が大事を知る
この防衛庁長官では、いよいよパフォーマンスが全開となった。なるほど海軍将校あがり、就任直後の「長官巡視」では、まず東京・練馬区の第一連隊への巡視が慣例なのだが、どこ吹く風で北海道は千歳第七師団へ向かったのだった。当時の防衛庁担当記者の次のよ…