内閣総理大臣

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歴代総理の胆力「竹下登」(1)角栄はなぜ総裁候補に竹下を挙げなかったのか?

「苦節10年」という俚諺(りげん)があるが、この竹下登は天下を取るのに、じつに23年の歳月をかけたのだった。のちに触れる竹下の極め付きの“辛抱強さ”が、改めて知れるのである。竹下の「政治の師」は、国政入り後、初めてワラジを脱いだ佐藤派の領袖…

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歴代総理の胆力「中曽根康弘」(2)退陣後に15年間議員の異例

退陣を決意した中曽根は、後継に竹下登を指名した。安倍晋太郎(安倍晋三総理の父)、宮沢喜一(のちに総理)も候補とされたが、3者の中で最も自民党内がまとまりやすいとの理由で竹下を選択したということであった。同時に、竹下が順調な政権運営を続ければ…

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歴代総理の胆力「中曽根康弘」(1)評価が分かれた大統領型リーダーシップ

中曽根康弘政権は「戦後政治の総決算」を掲げた本格政権でもあったが、『構え』の大きさの割には実績評価は分かれている。とくに、5年にわたった政権に国民人気は高かったものの、退陣後の永田町とりわけ自民党内の評価は二分されていたものだった。中曽根は…

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歴代総理の胆力「鈴木善幸」(2)コペルニクス的“転身”で…

鈴木の経歴は、おもしろい。岩手県立水産学校(現・県立宮古(みやこ)水産高校)では弁論部に属し、一方で漁業協同組合組織とその活動ぶりに疑念を持ち、ここで改革の必要性に目覚めた。卒業時は、優等生であった。水産高校卒業後は農林省の水産講習所に入り…

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歴代総理の胆力「鈴木善幸」(1)「ゼンコー・フー(善幸って何者)?」

大平派最高幹部の鈴木善幸が、派閥領袖(りょうしゅう)の大平正芳の急逝により総理のイスにすわったのは、ロッキード事件にもまれ、なお影響力温存を窺った時の最大派閥の領袖、田中角栄の意向によるものだった。田中と鈴木は、昭和22(1947)年4月の…

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歴代総理の胆力「大平正芳」(4)「弱気でどうする」と角栄

この「40日抗争」に一応のピリオドが打たれたあとの第2次内閣でも、「反主流」の3派はホコを収めず、それから約半年後の5月には社会党が提出した内閣不信任決議案の本会議採決で、福田、三木の両派が欠席(中曽根派は一応出席)、ために不信任決議案は2…

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歴代総理の胆力「大平正芳」(3)角栄は大平を「宗教家」と評した

「アイツは宗教家だから、ワシらが動くしかない」「盟友」大平正芳が初めて名乗りを挙げた昭和53(1978)年11月の自民党総裁選で、田中角栄は田中派を総動員させ、「大平勝利」に全力投球した。首相退陣後、ロッキード事件が発覚、「闇将軍」としてな…

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歴代総理の胆力「大平正芳」(2)「オオダイラ君であります」

大平は初出馬では田舎のジイサン、バアサンにクソ面白くもない財政問題を懸命にしゃべったが、いかにもカタい話すぎて聴衆はシラケるのが常だった。「笑顔だけはステキ」と妙に婦人票が集まって、からくも当選を果たしたのだった。しかし、2回目の選挙では笑…

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歴代総理の胆力「大平正芳」(1)エピソードが物語る実直な人間性

戦後の総理大臣で初めて在任中に死去した人物が、この大平正芳であった。その「胆力」、リーダーシップは、多くの総理大臣がそうであったようないわゆる大言壮語的なものはまったく窺えず、「歩留(ぶどま)り」を低く設定するという重心の低さが特徴であった…

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歴代総理の胆力「福田赳夫」(2)「天の声にもヘンな声がある」

しかし、一方で「安定成長」を旨とする志と異なり、政権を取った直後の次年度予算案は景気回復が要求されており、景気刺激策として苦渋の赤字国債の大量発行を余儀なくされた。また、折から日本赤軍による日航機ハイジャックという「ダッカ事件」が発生、乗員…

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歴代総理の胆力「福田赳夫」(1)「天がこの福田を要求するときが必ず来る」

戦後の大蔵省(現・財務省)史をくくってみると、飛び切りの秀才はどうやらこの福田赳夫と宮澤喜一の二人となりそうだ。同省関係者で、それを否定する者もほとんどいない。その頭脳明晰な福田のトップリーダーへの道は、徹底した「王道」志向であった。政界入…

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歴代総理の胆力「三木武夫」(4)「武夫よ、黙すなかれ」

さて、それまでまずは順風満帆、淡々とした政治家生活だった三木が、初めて闘争心を露わにしたのは、睦子との結婚生活がキッカケのようであった。それは、三木の「男は勝つまで、何度でも勝負する」といった言葉に表れている。三木は、「政治の近代化」「反官…

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歴代総理の胆力「三木武夫」(3)睦子夫人の存在が「駄々っ子な三木」を支えた

「睦子が男として生まれていたら、間違いなく三木より先に総理大臣になっていただろう」という声は、後年、三木武夫を知る政財界の中で定着していた。「昭和電工」を創業、「森コンツェルン」の総帥にして経済界の一翼を担った森矗昶(のぶてる)の二女で三木…

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歴代総理の胆力「三木武夫」(2)群を抜く屈指の「ねばり腰」

こうした三木の「したたかさ」は、それまでに始まったことではなかった。三木は戦前は無所属代議士だったが、戦後は群小の政党が離合集散する中、まず協同民主党に入り、その後、国民協同党、国民民主党、改進党、民主党と渡り歩き、昭和30年11月15日の…

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