「ジャパンがこの世界で生きていくためには‥‥ジャンボなり、天龍なり、藤波なりをみんな倒さなきゃいけないから、まあ一生懸命頑張ります」1985年1月17日、徳山市民体育館でカート・ヘニングを撃破してPWF王座防衛に成功した長州力は、日本テレビ...
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1985年暮れにジャイアント馬場とアントニオ猪木が水面下で握手、全日本プロレスと新日本プロレスの間に引き抜き防止協定が結ばれたことで、86年は両団体がそれぞれの活動に専念することができた年だ。新日本と前田日明率いるUWFの開戦は刺激的だった...
記事全文を読む→ジャパン・プロレスは1985年11月1日から7日の日程で3回目の自主シリーズ「ニューウェーブ・イン・ジャパン」を開催した。当初、全日本とジャパンには「ジャパンは1年間に1週間の自主興行を3回以上に分けて企画し、主催することができる」という取...
記事全文を読む→テリーじゃあ、逆にホッとするのは、やっぱり家ですか。長州そうですね。家族のところに戻ると、いちばんホッとしますね。テリー例えばお休みの日は何なさってるんですか。長州いや、ほとんど何もしないですね。道場へ行って、帰りにメシ食って、家ではテレビ...
記事全文を読む→テリー2019年に現役を引退されてツイッターを始めて、大ブレイクしたじゃないですか。長州大ブレイクっていうか、いたずらで、わかんなくてやってるだけですね。テリーきっかけは何だったんですか。長州いや、スタッフが「やってください」って言うから、...
記事全文を読む→テリー長州さんは1972年のミュンヘンオリンピックに出てますよね。長州そうですね。僕の場合は、韓国からですね。テリーで、その後、アマチュアレスリングから、プロレスに行くじゃないですか。そのことに戸惑いとか、ためらいはなかったですか。実はボク...
記事全文を読む→●ゲスト:長州力(ちょうしゅう・りき)1951年、山口県生まれ。1973年、新日本プロレス入門。翌年デビュー。藤波辰巳(現・辰爾)との抗争は“名勝負数え歌”と称され、空前のプロレス人気に。1984年、新日本プロレス退団。その後は「ジャパンプ...
記事全文を読む→1985年、遂に全日本プロレスVSジャパン・プロレスが開戦の時を迎えた。だが、クリアすべき問題があった。長州力、アニマル浜口、谷津嘉章、小林邦昭、寺西勇の維新軍団5人には、テレビ朝日との専属契約が残っていたのだ。前年84年3月、UWFが維新...
記事全文を読む→1983年12月、元新日本プロレス営業部長の大塚直樹がアントニオ猪木に社名をもらい、新日本プロレスの兄弟会社として設立した新日本プロレス興行は、1年弱で日本プロレス界の台風の目になった。全日本プロレスとの業務提携、それに伴う新日本との絶縁、...
記事全文を読む→ダウンタウン・松本人志が企画・プロデュースするバラエティー番組「HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル」(Amazonプライムビデオ)の新シリーズが、5月26日に配信される。「ドキュメンタル」は、最後まで笑わな...
記事全文を読む→1982年のアントニオ猪木は、ジャイアント馬場とのトップ会談で引き抜き戦争を停戦に持ち込むことができたことで一安心してしまったのか、体調不良に悩まされる1年を送った。まず4月1日の蔵前国技館における「第5回MSGシリーズ」決勝戦を両膝の負傷...
記事全文を読む→19年にプロレスを引退し、タレントとして活動を続けている長州力。19年にツイッターを始めると、歯に衣着せぬ投稿で注目を集めた。そんな長州をタレントとして有名にしたのが、「食ってみな!飛ぶぞ!」発言だ。引退する前年の18年、「千鳥の相席食堂」...
記事全文を読む→テリー3つ目の転換点は、やっぱり長州力選手の登場ですか。藤波そうですね。彼は僕より年齢的には2つ上なのかな。でもこの世界に入ったのは僕のほうが早いから先輩で。彼はアマレスでオリンピックに出てるし、全日本選手権も取ってるし、相撲でいう幕下付出...
記事全文を読む→「キレてないですよ」という、彼のものまね芸人のフレーズでもお馴染みの元プロレスラーでタレントの長州力が、5月23日に更新した自身の公式ブログで東京五輪の開催について言及した。〈なにが何でも五輪はやるんだな、、、これだけ国民が延期又は中止を求...
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