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記事全文を読む→長州力「オリンピックは憧れだった」/テリー伊藤対談(2)
テリー 長州さんは1972年のミュンヘンオリンピックに出てますよね。
長州 そうですね。僕の場合は、韓国からですね。
テリー で、その後、アマチュアレスリングから、プロレスに行くじゃないですか。そのことに戸惑いとか、ためらいはなかったですか。実はボクシングの村田諒太さんが、「プロになることにためらいがあった」みたいなことを話してるのを聞いて、長州さんはどうだったのかなと気になったんですよ。
長州 僕の場合は、オリンピックっていうのは、昭和39年の東京オリンピックですから。あれをカラーテレビで、自分の家じゃなかったですけど、見た時に、「わぁ、すごい大会だな」という、その印象が僕にとっては強烈だったですね。その時は田舎の中学生で、あんまりオリンピックというのも知らなかったので、「これ、何の大会だろう?」って思ったんですけど。
テリー それで興味を持ったんだ。
長州 あの入場行進を見た時、「わぁ、こういうところに出る人間って、どういう人なのかな」っていう。だから、オリンピックは憧れで「これに出るのにはどうすればいいんだろう」って思ってましたね。
テリー へぇ。
長州 だから、中学時代は柔道をやってましたけど、あこがれを持って高校に行って、たまたま柔道に近いレスリング部に入ったんですよね。
テリー 高校にレスリング部があったんですか。
長州 あったんですよね、山口県の高校に。
テリー レスリング部がある高校って、たぶん珍しいですよね。だから、正に運命的というか。
長州 そうかもしれないですね。
テリー それで、専修大学時代に、実際にオリンピックに出るじゃないですか。その後、プロになる決断をしたのは何だったんですか。
長州 それはやっぱり、あの時はちょっと悩んだというか。その1972年ですね。その時に中央大学にいたジャンボ鶴田さん、僕の1級上だったと思いますけど、あの方がプロレスの世界に入団じゃなくて、就職をしました。
テリー 名言を残しましたよね。入団会見で「全日本プロレスに就職します」。
長州 それを聞いて、「ああ、そうか」と。大体、大学3年ぐらいの時ですから、もう就職活動に入ってるんですよね。僕は、まあ、就職のことはあまり気にもしてなかったんですけど、鶴田先輩を見た時に、「ああ、こういう生き方もあるのかな」と思いました。
テリー 鶴田さんみたいに全日に行こうとは思わなかったんですか。
長州 その話もありました。でも、その時にテレビ朝日(当時はNETテレビ)のスポーツ局長だった永里(高平)さんという方がいて。早稲田大学のレスリング部のOBなんですけど。この人から大学関係者に「新日本プロレスの方に入団できませんかね」というような話があったみたいですね。
テリー そうか。じゃあスカウトみたいなもんですね。有望だから、新日本プロレスのテレビ中継を始めるテレ朝が長州さんを欲しがったんだ。
長州 どうだかわからないですけどね。
テリー オリンピック選手っていうのは、すごく看板としては大きいじゃないですか。支度金みたいなのは出なかったんですか。
長州 いや、少し出ましたね。でも、大学の監督さんがそれなりに、どれぐらいの金額かわからないですけどね。お世話になったし、あまり気にも留めてなかったですね。
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