-
-
人気記事
- 1
- タモリが「後継指名」する大物アイドル(1)「ブラタモリ」終了のワケ
- 2
- 水谷隼がバラした「卓球界ははいてない人ばっかり」で平野美宇や石川佳純は…という素朴な疑問【アサ芸プラス2024年2月BEST】
- 3
- タモリが「後継指名」する大物アイドル(2)終活を決意させた夫人以外のキーマン
- 4
- 掃除機をかけたら家中に大繁殖!この春に知っておきたい「トコジラミ対策」
- 5
- 【旅番組の暗黒部】太川陽介とは大違い…的場浩司「スタッフを恫喝」で食事抜きを強要【アサ芸プラス2024年2月BEST】
- 6
- とんねるず・石橋貴明が大谷翔平のドジャース・キャンプを訪問したらスター選手が興奮熱狂!その理由は…【アサ芸プラス2024年2月BEST】
- 7
- これは不思議すぎる「1600年経っても錆びない純度99.72%の鉄柱」
- 8
- 6000円⇒1万3000円に値上げ!出張族が嘆くビジネスホテルの「とんでもない宿泊環境」激変
- 9
- 篠ひろ子が夏目雅子に「明日、入籍します。私でいいでしょうか」/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史
- 10
- 日本大学「志願者3万人減」難易度&偏差値ダダ下がりをあざ笑う「青山学院大学」の絶好調戦略
-
急上昇!話題の記事(アサジョ)
-
働く男のトレンド情報(アサ芸Biz)
-
-
最新号 / アサヒ芸能関連リンク
-
-
厳選!おもしろネタ(アサジョ)
-
最新記事
-
アーカイブ
-
美食と酒の悦楽探究(食楽web)
甲斐よしひろ
芸能
5度目の「再結成」で弁明した甲斐バンド「もう解散しない」宣言/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史
74年にデビューし、「HERO」「安奈」などのヒット曲で知られる甲斐バンドが解散したのは、86年だった。その後たびたび「再結成ライブ」を行ってきたが、08年、ついにバンド活動に終止符を打つべく、「解散ライブ」と銘打った22年ぶりの全国ツアー…
芸能
「消えた主役」名作ドラマ・映画の知られざる“交代劇”(7)伊藤かずえはプロデューサーに自ら提案したが…
アサヒ芸能におけるインタビューの合間に、本題とは別に「実は〇〇の役って‥‥」と切り出した有名人たち。その意外な裏話を、よりどりでセレクション!「杉浦幸ちゃんが主演でデビューした『ヤヌスの鏡』(85年、フジテレビ系)ってドラマあったでしょ。実…
芸能
テリー伊藤対談「甲斐よしひろ」(4)“ロック”とは変化を恐れないこと
テリーロックというのは、例えばハングリーだとか、反体制的だとか、そういうイメージがあると思うんですけど、甲斐さんにとっての「ロック」とは何だと思いますか。「ロックの定義」というか。甲斐僕、ロックはお笑いとすごく通底していると思うんです。「そ…
カテゴリー: 芸能
タグ: テリー伊藤, ロック, 甲斐よしひろ, 週刊アサヒ芸能 2014年 10/30号
芸能
テリー伊藤対談「甲斐よしひろ」(3)ビートルズよりストーンズ派
テリーそもそも、甲斐さんは誰の影響を受けてロックをやりだしたんですか。甲斐小学校に上がる前から、家の中にレコードが置いてあって、楽器も置いてある、譜面もちらかっている、そんな環境だったんです。テリーお父さんがフラットマンドリンの演奏者だった…
カテゴリー: 芸能
タグ: ストーンズ, テリー伊藤, 甲斐よしひろ, 週刊アサヒ芸能 2014年 10/30号
芸能
テリー伊藤対談「甲斐よしひろ」(2)“太陽にほえろ!”に誘われていた?
テリー今回の新曲「BloodintheStreet」も聴かせてもらいましたよ。ドラマ「新・刑事吉永誠一」(テレビ東京系、毎週金曜・夜7時58分~)の主題歌になってるんですよね。甲斐はい。今年でバンドの結成が40周年なので、ライブチケット全部…
カテゴリー: 芸能
タグ: テリー伊藤, 太陽にほえろ, 甲斐よしひろ, 週刊アサヒ芸能 2014年 10/30号
芸能
テリー伊藤対談「甲斐よしひろ」(1)“ザ・ベストテン”の出演が大騒ぎに…
●ゲスト:甲斐よしひろ(かい・よしひろ) 1953年生まれ、福岡県出身。ミュージシャン。74年に「甲斐バンド」を結成、同年デビュー。79年に「HERO(ヒーローになる時、それは今)」がオリコンチャートで1位を記録、日本のロック・シーンを牽引…
カテゴリー: 芸能
タグ: ザ・ベストテン, テリー伊藤, 甲斐よしひろ, 週刊アサヒ芸能 2014年 10/30号
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<最終回>甲斐バンド(3)
79年1月1日、新年の時報とともに、すべての民放から同じ曲が流れた。セイコーのCMに使われた「HERO(ヒーローになる時、それは今)」である。楽曲だけでなく、メンバーが映像に出演するインパクトもあり、初のチャート1位を獲得。まさしく、彼ら自…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<最終回>甲斐バンド(2)
西田四郎が甲斐の存在を知ったのは、チューリップの財津和夫から渡された1本のテープである。そして財津は告げた。「すぐにウチと契約したほうがいいよ」甲斐の獲得を巡っては、吉田拓郎やかぐや姫を擁した「ユイ音楽工房」も名乗りを上げた。それを「シンコ…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<最終回>甲斐バンド(1)
日本のロック史において、比類なき存在感を誇ったのが甲斐バンドだ。傷つき羽根折れそうな思いを詞に込め、強靭なサウンドとともに雄々しく立ち上がる。やがて前例のないライブ会場を次々と制覇し、後進たちに多大な影響を与えた。そして、誰よりも博多の街を…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第4回>海援隊(3)
〈二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた〉武田の自伝的な歌詞で、映画化・ドラマ化もされた代表作が「思えば遠くへ来たもんだ」(78年9月)である。オリコンの100位以内にランキングされる…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第2回>チューリップ(3)
再びチューリップのデビュー期に話を戻したい。業界中が絶賛したメジャーデビュー曲「魔法の黄色い靴」(72年6月)は、期待に反してさっぱり売れなかった。続く「一人の部屋」(72年9月)も同様で、前述のように草野社長から「ダメなら帰れ」の最後通告…