かの地で溶けた炉心は現在も熱を放っているのか。その熱に浮かされたかのように、政界では隠居したはずの元総理が「脱原発宣言」を声高に叫び、後事を託した息子との間に“隙間風”が吹き始めている。そして、フクシマでは“汚染水”がタレ流され‥‥。「コントロール不能」の暴走する“2大核心”を衝く!
「原子力業界は、これまで原発は安くてクリーンだと言ってきた。しかし、さまざまなリスクを考えたら、あんなに高いものはない。事故を起こしたら、人体への影響、農作物への影響、水産物への影響、地域に対する影響は計り知れない」
10月1日、大垣共立銀行と共立総合研究所が開いた「特別講演会」において招聘された講師は声高に「脱原発」を訴えた。何を隠そうこの講師こそが、小泉純一郎元総理(71)なのである。
政界引退後の小泉氏は経団連が立ち上げたシンクタンクの顧問に収まっていた。ここにきて原発を推進してきた自民党の元総裁であったことを忘れたかのように、みごとな「政策転換」をしてしまったのだ。
その理由も講演の中で触れている。原発事故後にNHKで放映された「10万年後の安全」というドキュメンタリーフィルムを観たことだった。
「このフィルムに観た瞬間から引き込まれましたね。原子力とはこういうものかと。放射能の危険は消えるまでに10万年単位の時間がかかる。私たちは原子力の便利さというものを、よく説明されたけれど、原子力というものを人類はこれからも制御できるのか」
そして、小泉氏は今年8月にはフィンランドの「オンカロ」と呼ばれる核のゴミの最終処分場を視察していることも明かしている。
小泉氏が「脱原発」に舵を切ったことが騒動となったのも、この視察が発端だった。8月26日付の毎日新聞の政治コラム「風知草」に、視察と小泉氏の発言が紹介されている。
政治部デスクが言う。
「実は小泉氏は早くから『脱原発』の考えを持っていました。小泉政権で内閣府顧問を務めた経済学者の故・加藤寛氏の遺作となった出版物の中で、震災から2カ月後に開かれた小泉氏のセミナーで『原発への依存度を下げるべき』と語っていることが記されています。しかし、当時は表舞台に立つことを避けるように、閉ざされた場所で話していたのですが、今回は明らかに違います」
コラム掲載後、小泉氏は各所で「脱原発」を唱えている。9月24日に六本木で開かれた講演でも同種の発言をし、大きく報じられた。また、9月27日には、みんなの党代表の渡辺喜美氏(61)らと会食して、エネルギー政策論を交わした。
明らかに小泉氏自身の国民的人気、さらには政界への影響力を駆使して発信している状態なのだ。
それを十分に意識していることは、講演中の発言からもうかがえる。
「今年は原発ゼロでも平気で生活ができた。政治が早く『将来、原発をゼロにする』という目標を掲げれば、国会議員も納得するし、多くの国民がドンドン協力しますよ」