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記事全文を読む→「引退ではなく卒業です。新しい松岡修造になる」暑苦しい熱血男の力説は「時代の先をいく珍言」だった
松岡修造といえば、そのあまりにも熱すぎるキャラが世間に浸透し、スポーツキャスターとしてパリ五輪でもレポートをこなしていた。「うるさい」「暑苦しい」などといった嫌悪の声はあるが、そのスタイルが揺るぐことはない。
松岡はプロテニスプレーヤーとして、現役時代(1995年)にはウィンブルドンでベスト8に進出するなど、世界のトッププレーヤーとして活躍。この当時は「爽やかな青年」というイメージが強かったと思う。
長身で甘いマスク、さらに東宝社長の子息という血筋の良さもあり、松岡に憧れる女性テニスファンは多かった。
そんなイメージがガラリと変わったキッカケが、1998年4月に行われた引退会見だった。スポーツ紙のスクープ報道を受けて行われる形となったが、会見の冒頭から、松岡は熱いキャラを炸裂させた。
通常、引退会見はしんみりとしたムードで進行する。時おり声を詰まらせ、涙を流すといった光景が思い浮かぶ。ところが当時30歳の松岡は、やや怒気を含んだ声で、
「引退ではありません。卒業です!」
そう言って引退を否定したのだ。当然ながら、記者からは「今後も試合には出るのか」という質問が出たが、松岡はこれも否定。引退をスクープしたと思われる記者は憮然とした表情で「それは引退というのでは?」と指摘したが、松岡は断固として譲らない。
「引退ではない。新しい松岡修造になるということです。違うステージに行くのです」
こうして最後まで松岡と記者たちのやり取りは噛み合わないまま、「卒業会見」は終了した。
自らが発表する前にスポーツ紙に抜かれた悔しさはあったと思われる。そうした反発が謎の言動につながったのでは…と推察したが、松岡をよく知るスポーツ紙記者に聞くと、
「まぁ、いつもあんな感じです」
と苦笑しながら話していた(後々、松岡は引退理由について「負けても悔しくなくなったから」と明かしている)。
過去に例のない会見となったが、松岡の「卒業宣言」以降、引退という言葉を使うことなく第一線を退くトップアスリートが増えたような気がする。
フィギュアスケートの羽生結弦も、引退ではなく「決意表明」として会見を開き、「さらにうまくなる」と語った。五輪4連覇を果たした女子レスリングの伊調馨はいまだ、引退を表明していない。
もしかすると松岡の「卒業宣言」は、時代の先をいくものだったのかもしれない。
(升田幸一)
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