長嶋が現役引退した74年、のちにMLBで日本人初の大砲として君臨する怪童が産声を上げた。監督復帰した92年オフ、長嶋はドラフトで怪童を引き当てる。奇妙な縁で結ばれた師弟は、終生の絆で結ばれた。2人の血脈は昭和から平成、さらにはその先の未来にも受け継がれていく—。
「長嶋監督と生前、約束したこともあります。ここでは今はお話しすることはできませんが、その約束を果たしたいなと思います」
ミスターの訃報から一夜明けた6月4日早朝、愛弟子であるヤンキースのGM特別アドバイザー・松井秀喜(50)が弔問後に口にした「約束」というワードが波紋を広げている。スポーツ紙デスクが解説する。
「その場に居合わせた誰もが、将来の巨人監督就任に含みを持たせた発言だと感じました。2時間超の無言の対面の後だけに、それだけの重みがありました。さらに、水面下で読売サイドから主要メディア各社に『面白おかしく報じるな』と牽制が入ったのも、余計に説得力を与えてしまった。松井新監督の機運を高めてしまえば、現在の阿部慎之助監督(46)の存在を軽んじることになりかねません。それを未然に防ごうとする動きが、いささか裏目に出てしまった印象です」
思いがけない“決意表明”にファンは心躍らせたが、松井氏と親しい球界関係者は「巨人の監督は99%ないでしょう」と否定して、こう続ける。
「松井には、巨人の残留要請を断ってヤンキースに移籍したという負い目がある。“純血主義”を貫いてきた巨人の歴代監督人事において、自分だけが特別扱いされるのにも抵抗があるのでしょう。しかも阿部監督と、次に第二次政権樹立を控える高橋由伸(50)を差し置いて出しゃばる気もサラサラないと聞きます。それでも、ミスターの『東京ジャイアンツに帰ってきてくれ』という、かねてからの願いを無下にできる性格でもない。これまではのらりくらりはぐらかしてきましたが、ミスターの訃報を経て、今後“臨時”ではない打撃コーチとして巨人を支える可能性が高まりました」
今生の別れでさらに強固になった師弟の絆─。そんな2人を運命的に結び付けたのは、92年11月21日のドラフト会議だった。長年にわたって2人を取材した、スポーツライターの松下茂典氏が振り返る。
「巨人、阪神、中日、ダイエーの4球団競合の末、長嶋さんが自らクジで引き当てました。当日、私は取材記者として星稜高校の特設会場にいたのですが、阪神ファンだった松井は会見中はむっつりした表情。会場はお祝いムードとは程遠く、重苦しい雰囲気に包まれていた記憶があります。ところが、会見後に長嶋さんから電話がかかってくると一変。『テレビのまんまでした』と松井が笑顔で報告するや、会場は爆笑の渦に包まれた。さすがは長嶋さんですよね」
巨人の監督に復帰した直後の初仕事だけに、長嶋も縁を逃すまいと周到に手を打った。
「時を経ずに〈松井君 君は巨人の星だ ともに汗を流し王国を作ろう 熱い期待を込めて待っている〉という、長嶋直筆の色紙が松井に贈られました。これで心をガッチリ掴んだのでしょう。色紙はその後、松井の実家にあるピアノの上に大事に飾られていましたね」(松下氏)
そうして北陸の怪童は大スターの背中を追うことになる。