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記事全文を読む→「プロレスVS格闘技」大戦争〈武藤敬司がルタ・リブレ戦士と異種格闘技戦〉
「プロレス界に入れるもんじゃない。ああいうのとは絶対にやらないし、見せようとも思わない。やったところで何の価値もない!」とは、1990年代に入り、何でもありの総合格闘技大会「アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ」(以下、UFC)がもてはやされた中での新日本プロレスの現場監督・長州力の言葉だ。が、94年12月にロスで道場破りを仕掛けたUインターの安生洋二がヒクソン・グレイシーに敗れ、翌95年4・20日本武道館における「バーリ・トゥード・ファイティング・チャンピオンシップⅡジャパン・オープン95」ではリングスの山本宜久がヒクソンに敗退。プロレス界はグレイシー柔術やUFCを無視できなくなった。
こうした中、猪木はUFCについては「残酷ショーというか、本当のケンカになってしまい、技の美しさとかが一切なくなる」と、長州同様否定的な見解だったものの、「プロレスという広いキャパシティの中で、彼らの可能性や技術を十分に引っ張り出してやりたい。そして、それによってプロレスの今後の方向性を見出したい」と発言。96年8月2日、「G1クライマックス」開幕戦の両国国技館にルタ・リブレのマルコ・ファス、ペドロ・オタービオ、ウゴ・デュアルチが訪れ、猪木に新日本の選手との対戦を直訴したことで、新日本にも総合格闘技の波が押し寄せた。
ルタ・リブレとはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの流れを汲むブラジルの総合格闘技で、バーリ・トゥード(ポルトガル語で何でもあり)により実戦格闘技として進化。
その3人の強豪の中から、正式に挑戦を表明したのはオタービオだ。オタービオは同年4月5日、東京・駒沢オリンピック公園総合体育館で開催された「第1回ユニバーサル・バーリ・トゥード・ファイティング」で元大相撲横綱であり、武輝道場の道場主・北尾光司に首筋、後頭部への打撃でTKO勝ちした実力者。8月14日には東京ベイNKホールで、喧嘩芸骨法の大原学に120発以上のマウントパンチを叩き込んで判定勝ちしている。
50年の歴史を誇る「アカデミア・ブドーカン」でルタ・リブレを学び、195センチ、100キロのオタービオは、実力的にも体格的にも対プロレスラーとして打ってつけの選手だ。
このオタービオの対戦相手に新日本が指名したのは武藤敬司。ムーンサルト・プレスなど華麗なプロレスのイメージが強い武藤だが、バックボーンはオリンピック強化選手に選ばれた柔道だ。実際、武藤の若手時代の道場での強さは定評があった。自身も「自慢じゃないが、当時、新日本の裸になってのグラウンドの練習では誰にも負けなかったよ、先輩にもね。1回だけ猪木さんに足を取られたんだ。知らないから。“何やんのかなあ?”なんて、思っているうちにさ。少なくとも新日本で俺の同期の奴に話を聞いて、俺のことを弱かったっていう奴はいないと思うよ」と言っていたものだ。
猪木も「新日本でグレイシー柔術に対応できる選手は?」と問われた時に「たぶん、武藤だろう」と即答している。
ただ、武藤は総合格闘技には否定的で、新日本がオーナーの猪木の強権発動で総合格闘技路線に走っていた02年2月には「18年間いた新日本の思想が変わってきて、俺のアメリカとかのキャリアが無になっちまうような居心地の悪さがあった」として退団した。
かつての新日本は「道場での強さがすべて」とも言うべき道場論があったが、その当時でも武藤はこう言っていたものだ。
「1つ言えるのは柔道日本一の坂口(征二)さんとか、レスリングで東京オリンピックに出たマサ(斎藤)さん、でミュンヘン五輪に出場した長州さんとか、競技というものをやって実績のある人はそういうものに絶対、かぶれない。道場論って大事だと思うけど、道場って何人の世界? 柔道だって部員120人だったからね。その中からいちばん強い奴が出てくる。その強い者同士を戦わせたって、勝ったり負けたりなんだから。“道場なんて何人の世界のことを言ってるの?”って。競技っていうのはすげぇ難しい世界だよ。だから競技をやっていた人たちは口に出さなかったような気がしますね」
そんな武藤だが、オタービオの相手に指名された際には「今回、会社が俺を選んでくれたのは、やっぱり道場での練習、強さを評価してくれたからだと思う。グラウンドには自信がありますよ」と余裕の言葉。
試合はプロレスVSルタ・リブレの異種格闘技戦。30分1本勝負で行われ、勝敗は10カウントによるKO、ギブアップ、レフェリー・ストップやドクター・ストップによるTKOで決するが、時間切れの場合は時間無制限の延長戦とされた。反則は金的への攻撃、サミング、嚙みつき、相手のタイツを摑むことのみで、拳での攻撃はOK。オタービオ側の要求でグローブなしでの攻撃を新日本側が認め、代わりに新日本側のロープエスケープありをオタービオ側が認めたものの、実際にはバーリ・トゥードとほとんど変わらないルールになった。
普段と変わらない赤のショートタイツ、白のリングシューズで登場した武藤だが、素手での打撃に備えてマウスピースを装着。そこには緊張感が漂っていた。
しかしゴングが鳴るや、武藤は強かった。オタービオが胴タックルに来ると、うまく右腕を取ってグラウンドに持ち込んでマウントポジションになると脇腹、首筋にパンチ。
オタービオは蹴りから入って、スリーパーの形から武藤の体勢を崩して三角絞めを狙うが、ニアロープで極まらず、武藤は片足タックルからマウントを取って頭部にパンチ、さらにストンピング。この時点でオタービオは戦意喪失状態に近かった。
何とか腕を極めたい武藤だが、オタービオは完全にガードに入って膠着状態に。スタンドになり、オタービオが不用意に後ろ蹴りに来ると、武藤はタックルからマウントになって頭部、首筋にパンチと肘を連打する。と、オタービオはたちまちタップ。
1万6000人が呆気に取られた唐突な決着だった。
「ビジネスとして考えれば、作品に当たり外れがあっちゃいけない」が持論の武藤にとっても不本意な一戦だっただろうが、格闘家としての実力と矜持が垣間見えた試合ではあった。
「俺は、異種格闘技戦はあんま好きじゃないけどね。だけど大変なことをこなしてきて、1つの糧になってるんだよ」
と、武藤は言うのだ。
文・小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング」編集長として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)などがある。
写真・山内猛
アサ芸チョイス
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