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記事全文を読む→プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈アマ球界の剛腕が達成した「完全試合」の舞台裏〉
1966年5月1日、広島市民球場での広島対大洋(現DeNA)6回戦だった。
大洋の先発右腕・佐々木吉郎は9回裏、27人目の打者、阿南準郎を1ボール2ストライクと追い込んでいた。
阿南が真っすぐを振り抜くと打球は右翼・黒木基康のグラブに収まった。
ブルペンで待機していた左腕・小野正一はやれやれという思いで、この打球を眺めていた。
プロ野球史上8人目の完全試合達成だ。
洋 0 0 1 0 0 0 0 0 0=1
広 0 0 0 0 0 0 0 0 0=0
「今日は初めから調子がよく球が走りました。特に真っすぐがよかった。だから思い切って勝負しました」
そしてこう続けた。
「こんな記録にはツキというものが必ず付きまとうんですね‥‥」
実は大洋を率いていた三原脩は、試合当日まで小野を先発で投げさせる予定だった。だが、球場入りすると気が変わった。
後に三原は「あの日の佐々木の先発起用は一種の偵察だった」と明かしている。
広島は1番から大和田明、古葉竹識、興津立雄と3人の右打者が並んでいた。しかも3人とも左投手にめっぽう強い。
そこで1回だけ佐々木に任せて、2回から小野投入という変則継投策を思いついたのだった。
佐々木は日本石油のエースで都市対抗野球では最優秀選手に当たる「橋戸賞」を獲得した速球派だった。
62年に期待されて大洋入り。しかし1年目は0勝4敗、以後も64年の5勝7敗が最高で65年までの4年間で7勝19敗だった。66年はこの試合までに0勝2敗である。
三原は期待していなかった。ベンチの方針は「1本でもヒットを打たれたら即小野に代える」だった。
だが、野球は何が起こるかわからない。
佐々木は大和田を二飛、古葉を三飛、興津を三振と軽く料理してしまった。
並みの監督ならここで小野にスイッチであろう。しかし、三原は「魔術師」と異名を取った男である。
もう1回、もう1回と様子を見ながら続投。「いい流れは手放すな」が鉄則だ。佐々木はあれよあれよという間に完全試合をやってのけてしまった。
投球数102、内野飛球5、内野ゴロ2、外野飛球13、三振7。
割を食らったのが小野である。当初の予定通り、いつでもお呼びがかかるように準備した。何度もブルペンで肩を作って、皮肉にもその球数は佐々木の102を超えていたという。
この試合の11日後の12日、今度は西鉄(現西武)の田中勉が大阪球場での南海(現ソフトバンク)6回戦で完全試合の大記録を続けて打ち立てた。
田中は3年連続2ケタ勝利を挙げていた実力派だった。
佐々木は69年に引退した。現役8年間で202試合に登板し23勝34敗の成績を残した。
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指揮官不在の大記録達成となった─。
1973年10月10日、仙台・宮城球場(現楽天モバイル)でのロッテ対太平洋(現西武)12回戦だった。
ダブルヘッダー第一試合に先発した28歳の八木沢荘六投手が、史上13人目の完全試合を成し遂げたのだ。
太 0 0 0 0 0 0 0 0 0=0
ロ 0 1 0 0 0 0 0 0 ×=1
投球数は94、内野ゴロ7、内野飛球3、外野飛球11、三振6。3ボールが一度もなかった。制球力抜群だった。
「苦しい。胸が締め付けられるようだ。自分の心臓の音がガンガン響いてくる」
達成するとナイン、裏方たちがマウンドで胴上げをした。八木沢は感激のあまり声を出して泣いていた。
八木沢は作新学院高校時代の62年にセンバツを制し、早稲田大学では24勝をマークして、3度の東京六大学リーグ優勝に貢献した。エリートコースを歩んできたが、この年はリリーフ登板が多かった。それがプロ7年目で初の完封勝利が完全試合だ。通算26勝目である。
ここで本来なら監督就任1年目の金田正一が登場し、ヒーローの肩を抱き寄せて祝福するはずだった。
金田も57年に完全試合を達成。それだけに、絵になるツーショットが見込めていた。ところが、指揮官は球場にいなかった。
この日早朝、マネージャーに空路で仙台入りする予定の金田から電話が入った。激しい歯痛で仙台入りできないという。
コーチの高木公男が代行として指揮を執ることになった。第一試合の先発は村田兆治、第二試合は八木沢と決まっていた。
この試合までに八木沢は6勝1敗で勝率1位投手の可能性があり、前提として規定投球回をクリアする必要があった。そのための先発起用だった。
ところが、別のアクシデントも発生した。村田が寝違えによる首痛を訴えて登板回避となったのだ。急遽、首脳陣は八木沢を第一試合に繰り上げ登板させた。太平洋の監督は稲尾和久、投げ合ったのは若きエース・東尾修だった。
金田が指揮を執っていたら八木沢を最後まで投げさせただろうか。完全試合が頭にはなく、「ハイ、ご苦労さん」と適当な回数で降ろされていた可能性があった。「歯痛」と「首痛」が絡んだ繰り上げ登板は大記録樹立への格好の「舞台装置」となったのである。
完全試合投手はこれまで16人誕生したが、金田はその偉業を見届けなかった唯一の監督となった。
ちなみに、八木沢はこの試合で勝率1位を仕留めた。7勝1敗は最少勝利数での記録である。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。
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