衛星放送で観戦する日本のファンは皆、ファイティング原田の勝利を確信した。しかし試合終了直後、レフェリーは両者の手を上げた。「えっ、引き分けなの?」「なぜ、こんなに早く結果がわかるのか?」と誰もが驚愕した。この露骨なホームタウン・デシジョンにより「3階級制覇」は幻に終わった。原田氏が“盗まれた勝利”を振り返る。
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「15回終了のゴングと同時にレフェリーのウィリー・ペップ(元世界フェザー級王者)が僕ら2人の手を上げた。『引き分けかよ』とアゼンとしたね。だって、2回、11回、14回と3度もダウンを奪ったんだよ。特に14回なんて、相手はほとんど起き上がれない状態。なのに、レフェリーは途中でカウントを止めて、相手の体を支えたんだよ。おかしいよね。当然、オレが勝ったと思っていたね」
1969年7月28日、ファイティング原田(68)=日本プロボクシング協会終身名誉会長=は、WBC世界フェザー級王者ジョニー・ファメション(豪州)に敵地、シドニー・スタジアムで挑戦した。原田は2回に右フックでダウンを奪ったことから始まって、猛攻に次ぐ猛攻で3度もダウンさせた。
しかし、この試合のジャッジはレフェリーのペップが1人で務めていて、試合終了と同時に「引き分け」の判定を下した。1万人を超える観衆は、地元ファメションとレフェリーのペップに対し、ブーイングの嵐。しかし、コトはこれだけでは済まなかった。
「ジムの会長をはじめ、みんな『引き分けはおかしい』と怒って、ジャッジペーパー(採点表)を確認させてもらった。そしたら、書き直している部分があったりして怪しいんだよ。で、計算したら、なんとオレの判定負けになっていた。ムチャクチャだよね。だいたい、レフェリーが1人で採点するなんて、考えられない。でも、翌日の地元の新聞にはデカデカと『原田は勝っていた』の文字が。わかってくれてる人もいたんだ」
原田は62年、ポーン・キングピッチ(タイ)をKOして19歳で世界フライ級王座を獲得、65年には〝黄金のバンタム〟と言われ、KO防衛を続けていた最強の王者、エデル・ジョフレ(ブラジル)に判定勝ちして世界バンタム級も奪取、世界的に知られるようになる。
しかし、現役時代は常に減量苦が付きまとった。試合が近づくとジムの水道の蛇口やシャワーの栓は全て針金で封印された。この壮絶な減量が「あしたのジョー」の力石徹のエピソードになったことは、あまりにも有名だ。「うがいもさせてもらえなかった(笑)。今は3階級制覇なんて簡単に言うけど、昔は〝ジュニア〟や〝スーパー〟なんてないから、3階級制覇は夢のまた夢。今なら7階級制覇だね。それに、今は4つの団体が世界チャンピオンを量産して100人近くもいるけど、オレらの時は世界で10人前後。そういう時代だったから、引き分けとか曖昧な決着はあまりなかったんですよ。
当時の世界戦は15ラウンド制で、13〜15回が勝負。ここで決着がつくことが多かった。だいたい、引き分けだと欲求不満になるでしょ。オレの場合、逃げずに相手と打ち合いをするから負けても納得がいくんです。その点、今のボクサーは最後に楽をするよね。疑惑の判定? みんな、倒すか倒されるかでやれば、そんなことにはならない。ファンも納得するはず。闘うしかないんですよ!」
この「伝説のチャンピオン」の言葉に耳が痛くなる選手がいたら、この次にはもう「闘うしかない!」。
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