オープン戦でいよいよ兼任監督としてのベールを脱いだ中日の谷繁元信監督。いきなり、チームが連敗に追い込まれるものの、相変わらず泰然自若の構えだ。その裏では、開幕をにらみ用意周到とも言える「古田ルール」対策があった。「キャンプでの疲れを少しでも...
記事全文を読む→中日
兼任監督が絶対的に不可欠としているのが、チームを支える参謀の存在だ。落合GMが指名したのは、中日監督当時にヘッドコーチとして投手陣を全面的に任せていた森繁和だった。森の中日投手陣との信頼関係は、当時から絶大である。その期待感たるや、中日の投...
記事全文を読む→“野村克也の教え子”とも言われた古田敦也の場合はどうだったのか。07年からわずか2年間の短命で終わっているのは、“監督”という肩書があれば何でもできると、古田本人が勘違いをしてしまった部分が大きかったように思える。監督はゼネラルマネジャーで...
記事全文を読む→横浜大洋時代、須藤豊監督が率いていた頃、谷繁は、ようやくレギュラーの座を獲得。安心感が芽生え、遊び歩いていた時期があった。しかし、89年のシーズンが終わると、西武から秋元宏作がトレード移籍で入団。谷繁と併用されていた時期があった。しかも秋元...
記事全文を読む→「二足のわらじ」の難しさはいまさら言うまでもない。過去には選手との両立もままならず、ユニホームを脱いだケースも多い。はたして兼任監督に勝算はあるのか。その戦略に迫った。「いつもと変わったことはないですよ」2月22日、いよいよ始まったオープン...
記事全文を読む→テリー今年の中日は谷繁監督、落合GMという体制ですが、これはどうです?山崎谷繁監督は兼任ですけど、今の野球はやることが多いので、大変なことを受けたなっていう気がしますね。テリー落合さんは名監督だったじゃないですか。谷繁監督にしたら、男優の前...
記事全文を読む→事実、落合GMは、キャンプ地の北谷の球場に姿が見えないかと思えば、沖縄でキャンプを張る大学の春キャンプにしっかりと出かけている。キャンプの休日となった2月17日には、明大のキャンプ地まで足を延ばして選手を自分の目で確かめていた。中日の球団幹...
記事全文を読む→テリー39歳で43本、41歳で39本打ったでしょう。当時は「山崎すげえな、この年で」と、日本中が思ったんです。野村さんから教わったことが、この数字に出ているんですか。山崎そうだと思いますね。いちばん簡単なことを言うと、それまで僕は三振をめち...
記事全文を読む→谷繁は、横浜と中日の両球団で、それぞれ1000本安打を放ち、2000本安打を達成しているが、あくまで外様である。中日には、監督候補としてチーム生え抜きのエリートで、WBCのコーチ経験のある立浪和義がいた。一度は監督をやらせたいと思っている中...
記事全文を読む→テリー楽天時代、ホームランは何本打ちました?山崎1年目は25本です。テリーすごいですよね。山崎自分のバッティングが崩れていたので、田尾(安志)さんに技術指導をしてもらいました。テリー田尾さんは人柄がいいでしょう。山崎はい。でも、こうだってい...
記事全文を読む→谷繁の姿を、監督時代の8年間を共に過ごしてきた落合GMが、「谷繁は目先のことだけで野球をやっていない。常に一歩先を読んで野球をやっている。投手をリードするにしても思い切って内角を要求したり、勝負をさせたりしている。勝負の先読みをしながら布石...
記事全文を読む→●ゲスト:山崎武司(やまさき・たけし)1968年生まれ。愛知県出身。元・プロ野球選手。87年中日に入団、03年にオリックスへ移籍後、05年より東北楽天の創設メンバーとして活躍。12年、再度中日へ復帰し、13年10月に現役を引退。07年に39...
記事全文を読む→12年ぶりのBクラス転落で、白羽の矢が立った谷繁元信新監督。落合博満GMの下、“傀儡政権”と揶揄する声もある中、2月18日の巨人との練習試合では、いきなり打線が猛爆発。起用された選手がイキイキと働き、積極野球を見せているのだ。はたして、チー...
記事全文を読む→その落合GMはというと、就任当初から「現場のことは全て(監督に)任せる」と現場不介入を明言していたはずだが、いざキャンプを視察してみれば、あれこれ言いたいことが出てくるというもの。2月5日はさっそく、ティー打撃中の荒木正博(36)に歩み寄り...
記事全文を読む→