先日、殿や番組スタッフさんらと、「明日は東京マラソンですね」といった話をしていると、「マラソンだったらあれだよ」と、殿が切り出してきたのです。「昔、長嶋さんがマラソン大会のスターターに呼ばれた時、右手にピストル持って、『よーいどん!』って鳴...
記事全文を読む→長嶋茂雄
去る2月27日、東京「ホテルニューオータニ」の大宴会場・芙蓉の間の壇上には「SATONO感謝祭」の看板が掲げられ、会場内には政財界、スポーツ界、芸能界などから著名人が多数集まっていた。その中に、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(81)の姿もあった...
記事全文を読む→先頃、ノムさんこと野球評論家の野村克也氏(81)が「暗黒の巨人軍論」(角川新書)を上梓した。オフに大型補強を行い、優勝奪還を目指す巨人の現状について一刀両断しているのである。同書の冒頭で、ノムさんは、阿部慎之助(37)や坂本勇人(28)など...
記事全文を読む→これは余談だが、右手が不自由になったことによる「副産物」もあった。「ミスターは今や、左手で書く文字がえらく達筆になってね。最近、元巨人の河野博文氏(現在は玉ねぎ農家)がミスターに玉ねぎを送った際、お礼のサインが送られてきた。それがまるで、右...
記事全文を読む→キャンプ視察を終えて帰京後も、その動きは活発だった。翌13日の朝7時前。ミスターを乗せたダークグレーのレクサスが、田園調布の自宅を出発する。04年3月に脳梗塞で倒れて以降、過酷なリハビリを繰り返す姿を13年にわたって見続けるスポーツジャーナ...
記事全文を読む→麻痺が残る右手はいつもポケットの中に。ミスタープロ野球のそんな姿を、ファンも見慣れていたはずだ。だが今年の宮崎キャンプでは右手をさらけ出し、選手や首脳陣を次々と激励。その精力的な動きは「悲願」達成のための、常識外れとも言える超過酷トレーニン...
記事全文を読む→空前の巨大補強をした巨人。早くもセ・リーグ優勝の最右翼にあげる声が数多く出ているが、どうにも随所で綻びが見え隠れしている。2月1日スタートの春季キャンプでも、近年話題を独占してきたスターからそっぽを向かれていたのである。巨人は宮崎キャンプに...
記事全文を読む→実は15年夏、同年かぎりで退任確実となっていた原辰徳前監督(58)の後任候補としても、中畑氏はその名が一部の球団幹部クラスや読売本社内で取りざたされていた。しかし当時はまだDeNA監督の職に就いていた状況であり、プランは具体化することなく消...
記事全文を読む→長嶋が高校時代に放った唯一のホームランは、1953年8月1日、県営大宮球場で行われた南関東大会の熊谷高戦だった。観客が満員になった甲子園出場切符をかけた試合で、超特大の本塁打を打ってのけるあたりが、長嶋の長嶋たるゆえんである。ホームランが生...
記事全文を読む→長嶋の佐倉中学、佐倉一高(現・佐倉高校)時代にはヤンチャ伝説が残されている。自らケンカを売ることはなかったが、売られたケンカは買う主義だった。臼井駅から佐倉駅へ、電車通学を始めた佐倉中学の入学式のときだった。佐倉駅を出たとたん、足を思いきり...
記事全文を読む→1936年2月20日、千葉県印旛郡臼井町(のち佐倉市に編入)で、長嶋茂雄は産声を上げた。長女・春枝、長男・武彦、次女・藤枝に次ぐ四番目の末っ子だった。長嶋は誕生日について聞かれると、決まってジョークを飛ばす。「生後6日目に日本中を震撼させた...
記事全文を読む→幼少時代、青春時代の日々が、その後の茂雄の人生を決定付けたのだろう。スーパースターの階段を駆け上る前夜、この街で家族と過ごした思い出を追った。今回、「佐倉ものがたり」の取材で、旧知の親類縁者、関係者に会うと、意外な事実が次々に判明した。まず...
記事全文を読む→そこにはジャンボ流の意地も見てとれる。ゴルフ担当記者によれば、「見た目にはわかりにくいですが、シニアの芝は緩い。距離やピンの位置だけでなく、セッティングもまったく違います。レギュラープロから見れば『お遊びみたいなもの』に映る」また、尾崎が5...
記事全文を読む→80歳にして「野球教室」を開くなど、生まれ故郷の佐倉市を大切にする長嶋にとって、先頃の“ゴミ屋敷”騒動は、心を痛める出来事だった。〈長嶋家を強制解体に!〉という見出しが躍った女性週刊誌が発売されたのは、10月6日のこと。〈600平方メートル...
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