93年の元旦に放送された「第11回ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」の中で、浅草キッドの水道橋博士さんが、殿と漫才を披露されたことがありました。この時、披露されたネタが、普段、浅草キッドがやられていたネタをベースとした漫才であり、殿は水道...
記事全文を読む→ビートたけし
撮影当日、“一度のリハを経ていきなり本番”といった、噂どおりの北野映画のスピーディぶりに、恐ろしく緊張しながらも、なんとかNGを連発するといった最悪の事態を免れ、カメラ前での初めてのお芝居をやり終えたわたくしが、足早に監督のもとへ行き、「あ...
記事全文を読む→先日、お昼の生放送、「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(ニッポン放送)に出演された殿は、「今、映画やってんだけどさ、これが大変なんだ‥‥」と、実にうれしそうに、17作目にあたる、“北野映画最新作面白話”を快調に話されていました。過去作品の撮影...
記事全文を読む→テリー今は誰と住んでるの。奥さん?きよしいや、かみさんもいるし、いろんなのがいますから。テリーじゃあ愛人もいる?きよしいるいる。いっぱいいる(笑)。テリーいいね、それ。きよし前のかみさんはガンで亡くなっちゃってね。このかみさんのおかげで俺は...
記事全文を読む→テリーじゃあ、その酔っ払いがきっかけで、毒舌っぽい感じになっていったんだ。きよしそうだね。相方は自分で書いた本でも言っていることだけど、当時、何ていうのかな、躁うつ病みたいなのがあって、落ちこぼれだったと思うんだよ。兄貴は博士とかになってす...
記事全文を読む→テリーたけしさんが「世界の北野」になったとしても、きよしさんとの漫才っていうのは心の原点なんですよね。きよし原点だね。うちの相方のすごいところは、あれだけの映画監督になっても、お笑いを忘れていないところだよね。カンヌ映画祭に行ったって、かぶ...
記事全文を読む→●ゲスト:ビートきよし1949年生まれ。山形県出身。お笑い芸人。80年~82年の漫才ブーム全盛期の人気漫才コンビ「ツービート」のツッコミ役として、ボケ役であったビートたけしとともに活躍。その後、コンビ活動から一時離れるも、解散ではなく、折に...
記事全文を読む→86年、フライデー事件後の記者会見で、ビートたけし(67)は反省を口にしながら、事件後の反響の大きさに驚いたとして、こう続けた。「やったことというのは、白鷺を鉄砲で撃ったと思ったら、特別天然記念物のトキを撃っちゃったみたいなものでね」バイク...
記事全文を読む→清原氏の抗議活動を巡っては、さらに物騒な話まで飛び交っていた。今回の薬物報道が出る以前から、清原氏は自身のことが書かれた記事に対しては人一倍敏感だったのだ。さる球界関係者が明かす。「マスコミの中でも親しい人間には『好き勝手、書く連中、ホンマ...
記事全文を読む→日本を代表する美女たちが艶やかな姿で一同に会する『日本アカデミー賞授賞式』(日本テレビ)が3月7日に放送された。「ゴールデンタイムに放送されてもなあ…映画に興味ないしなあ…」と思うなかれ、めったにない美女たちの競演は、世のお父さんたちでも十...
記事全文を読む→「有吉AKB共和国」(TBS系)をはじめ、現在冠番組を何本も抱える有吉弘行(39)。1994年にお笑いコンビ“猿岩石”のボケ担当としてデビューし、一度は「進め!電波少年」でブレイクしたものの、以降は低迷。一時は仕事が全くない時代もあった。し...
記事全文を読む→「この仕事になった以上は、しゃべれることとしゃべれないことがある。こういうナマの声を聞くのは恐らく今日が最後」。中日ドラゴンズGMという立場上、以前のように自由に球団ネタを話すわけにはいかなくなった、とおっしゃるのは「ミスター・オレ流」だ。...
記事全文を読む→たけしは「たかじんnoばぁ~」には96年7月6日放送の最終回にも出演しているが、大阪での飲食やクラブの接待を条件に、いずれもノーギャラで出演したという。番組の中でたかじんは、「『あんたのギャラなんか制作費で無理や』言うてやったわ」と、うそぶ...
記事全文を読む→たかじんがたけしとの共演を実現させることができたのは、悩みを洋七に相談したのがきっかけだった。まだ2人に面識がなかった92年。「たかじんnoばぁ~」のプロデューサーから洋七に連絡があり、洋七にしてみれば名前は知っているが顔はあまり知らなかっ...
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